- 新潟県支部
The Niigata Branch
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2017年02月28日
第29回新津安吾忌が開催されました
去る2月17日(金)に恒例の新津安吾忌が開催されました。
第一部は、大安寺集落開発センターに東洋大学名誉教授 森 章司 氏を迎えての記念講演、森先生は、坂口安吾―求道者としての破滅型人生―をテーマに安吾的人生について語ってくださいました。
第二部は、坂口家墓所での墓前祭、あいにくの雨でしたが、」参加者がそれぞれに墓所に手を合わせていました。
講演風景①
講演風景②
校友会の献花
参加者の合掌
森先生の講演内容を簡単に紹介し、安吾忌の参加報告とします。
森先生は、自身と安吾の出会いから語り始めた。高校を出て働いていた森先生は、病床で堕落論に触れ、安吾に感銘を受け、23歳で悟りを求め安吾の学んだ東洋大学の印度哲学科の門を叩いた。
自身は、仏教を捨てずに今日まで歩んできた。安吾が仏教に幻滅を感じながら、安吾が求めた仏教のイメージと森先生の持っている仏教のイメージは異なるという。
禁欲主義的に安吾は、仏教に難行苦行を求めた。
自力の宗教と他力の宗教が対極にあるが、安吾は自力のイメージで仏教に向き合った。一方、森先生は他力のイメージで仏教と向き合ってきた。
天賦の才に認められた巨人の人生にどこまで迫れるか、「求道者としての破滅型人生」をテーマに語る。と、前置きし本題に入る。
今回を契機にあらためて安吾について調べてみたが、新津駅の安吾の碑を見て、「安吾の命がけの人生」がよりよい講演テーマだったかもしれない。石碑の「あちらこちら命がけ」の精神が今日の話の底辺に流れていると思う。
新潟中学校を放校となって、東京の豊山中学に転校したが、豊山中はそもそも宗派立の学校で、豊山中時代に仏教、印度哲学に興味を持つようになった安吾。その後、代用教員を1年間務めるが、まさに「あちらこちら命がけ」、一生懸命に、どんな局面でも一生懸命に生きてきた安吾である。ちゃらんぽらんなら、命がけにはならない。
坊主になるつもりで東洋大学に入学するが、坊主になるなら駒沢もある。ちょっと違うのではないか。悟りの実態に幻滅したと言っているが、まじめな求道者であった。その安吾の生き様などを書いた本はいろいろあるが、七北数人氏の「評伝坂口安吾 魂の事件簿」は、よく調べて書いており、大変参考になる文献。
安吾は、東洋大学に入学し1年半で仏教に幻滅し、少年時代の夢を追い再び文学を志し、第2回、第3回の『改造』懸賞創作に応募している。まさに、文学に命がけで挑戦している。
友人が語る安吾の人間像を見ると安吾の姿が浮かび上がってくる。どのつきあいも中途半端なではない、真剣なもの。①求道者としての安吾を見たのは、檀一雄。徹底した無一物主義から、②禁欲主義者としての安吾の姿が見える。矢田との純愛から③純真で誠実な安吾が浮かんでくる。面倒見がよく④愛情豊かな面、⑤合理主義者としての側面も見せている安吾。5つの安吾がないまぜで、あちらこちら命がけで一生懸命に生きた。命がけで仕事をするから眠れなくなる。克服しようとウヰスキーやアドルムに手を出す。凡人は酒に飲まれてしまうが、安吾は、ある意味、自覚的薬物中毒、飲まれているのではなく、飲んでいる。まさに、命をかけて、破滅型、自爆型人生を歩んだ。自分の意思・理想を大切にしたからこそ、自爆型の生き方にならざるを得なかった。
なぜそうなったか。冒頭の自力と他力に行き着く。自力は自分の力で悟りを開くこと。他力は、神や阿弥陀如来に救ってもらうこと。他力は、安吾的生き方、安吾が他力の生き方を知っていたら、生き方が変わったかもしれない。
人間は悪人と見た親鸞と人間は堕落すると見た安吾の人間観は似ている。親鸞からすれば、人間はろくなもんじゃない。自分で悟ることも難しい。だからこそ、阿弥陀にすがれとなる。
安吾は、人間は堕落する、だから墜ちきろ、そして這い上がれという。自力を貫いた安吾だからこそ自爆したのではないか。と、先生は話をまとめた。
文学論でなく、仏教学者が見た安吾的人生。はちゃめちゃに見える安吾の生き方に自力の一本の線が入ることで、まさに「あちらこちら命がけ」でもがいている安吾が浮かんでくるような、新たな安吾に出会ったような気がします。確かに無頼派の安吾、まさに人に頼ること無く、自力の道を突き進んできたのかもしれない。無頼派安吾の真骨頂を垣間見る講演でした。森先生に感謝です。
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