東洋大学校友会報266号
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6TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION ● 266校友金子 俊二 かねこ しゅんじ校友金子 俊二 かねこ しゅんじ昭和32年文学部社会学科卒業32年社会福祉法人 全国社会福祉協議会(全社協)36年~社会福祉法人 東京有隣会(1法人5施設)法人事務局長 病院事務長奉職52年厚生省病院管理研修所修了(事務長コース)平成3年上記法人 定年退職人生の出会いで東洋大学へは、昭和32年3月、母校東洋大学の第2部文学部社会学科を卒業して、全国社会福祉協議会(全社協)に就職した。4年間そこで社会福祉全般の知識技能を習得後、世田谷区内にある社会福祉法人東京有隣会(1法人5施設)に38年間勤めた。満61歳で慰留されたが、上記法人を退職。現在は、生まれ故郷の佐渡島に帰り、老夫婦で気ままな年金生活を送っている。母校へは、誠に摩訶不思議なご縁で入学した。それは、旧制中学時代に国語の教師が母校の先輩であったこと、さらに運命的とも思われたのは、昭和25年に勤めた社会福祉法人有隣病院の理事会に母校に関係する理事が3名、すなわち、母校の評議員、OBの病院事務長、OBの日赤社会部長がおられたことであり、恵まれた勤労学生として、東洋大学に入学した。当初は、教員免許を取得して憧れの国語の教師になることを目指したが、母校評議員の佐野恵作理事(宮内庁出身の全社協民生部長)の勧めで、全社協に就職した。全社協は、昔の厚生省、宮内庁、各官庁との繋がりがあり、私自身にとっては古巣の職場に戻って大変役立った。当時の厚生省、全社協は、30年後の超高齢社会の到来を予測して、特養老人ホームなどの建設設置を促進していた。したがって、全社協で習得した技能を生かし、結核専門の病院から老人専門病院建設の資金調達のため東京都、世田谷区、自転車振興会、共同募金など、理事長とともに東奔西走した。昭和52年、東京都の「民間老人病院整備補助事業」の委託を受けた。新病棟落成式には、皇太子殿下・美智子妃殿下のご台臨を仰ぎ、佐渡からは両親を招いて理事長から両殿下に紹介していただいた。両親は、感激して涙していた。法人の事業は、特養老人ホームと病院をセットにした福祉医療総合施設であるので、地域社会の要請に応えるため「施設の開放」に努めた。高齢者緊急相談所も設置して24時間体制であった。在職中は、東京都庁から優良病院の認定を受け、また、日本銀行の指定病院としての委託を受けて緊張の連続であった。法人の「防火管理者」として、5施設ごとに自衛消防隊を組織して、入院入所者の人命安全と施設保全のために、「番頭さん」の務めを果たした。無茶が祟って、大きな病気の連続であった。「九死に一生」を得て佐渡に帰島。帰島後は、気兼ねない自由な生活を送ることになった。これまでの知識と経験を生かして、要請があれば、地元社協の講演・講話などを行い、地区老人クラブの役員、社協の委嘱を受けて、80歳以上で独り暮らしの方への訪問員などをした。また、生涯学習のふれあい学級の学級長をしている。私は、無類のスポーツ好きで、在京中には、母校の東都大学野球で神宮球場に出掛けて、学生と一緒に熱狂的な応援を行った。箱根駅伝も、入学以来のファンである。校友会新潟県支部の村田弘氏から、貴重な各種情報をいただき、ありがたく感謝している。母校東洋大学の益々の発展・隆盛を祈ります。私

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