東洋大学校友会報266号
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TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION●2667校友岡田 崇 おかだ たかし未来の沖縄のために校友岡田 崇 おかだ たかし平成9年社会学部社会福祉学科卒業在学中に日本橋小網町に塾「シャローム進学舎」を創業12年㈱コムスン中部事業部センター長その後、社会福祉法人、医療法人社団において精神科ソーシャルワーカーとして勤務精神保健福祉士国家試験合格(15年)、社会福祉士国家試験合格(16年)、介護支援専門員試験合格(19年)特定医療法人葦の会オリブ山病院医療相談室(23年1月退社)21年「シャローム進学舎」を再開(その後改称)23年弘文館進学ゼミACT塾長ホームページ  http://kact.main.jp/index.htmlメインブログ  http://sssya.ti-da.net/学は内容で選ぼう!」これは、私が、塾の生徒さんたちに常に言っていることである。私が社会福祉学科に在学した1995年前後は、学界トップクラスの先生方が揃っていた。その講義を無駄にしまいと、一番前の中央で授業を受けていた。そのうちに、周りに同じような仲間が集まってきた。いつでも福祉の話題をし、時間を作っては、施設見学やボランティアに明け暮れた。この仲間たちが3年になると、大友信勝先生のゼミを選択した。大友先生は、私たちの熱心さをしっかり受け止めてくださり、「東洋大学という総合大学の特性を生かして視野を広く学びなさい」とよくおっしゃっていた。また、学業と併せて塾講師や家庭教師もした。最初は学費のためだったが、やっているうちに「塾や家庭教師に学校ではできない何かができるはずだ」と使命感が芽生えてきた。徐々に高校受験、大学受験で実績を上げていき、生徒も増え、独立し、日本橋に教室を立ち上げた。毎日、授業後は、塾と家庭教師。帰宅後と通学時には、大学の勉強だった。睡眠時間は、毎日4時間半というハードな日々であったが、充実した大学生活を満喫した。大学卒業後も、塾経営、家庭教師を継続していたが、少子化により生徒が激減し、30歳を機に専攻の社会福祉学を生かすべく介護会社に就職。その後、精神科ソーシャルワーカー(PSW)として、長野県内と東京都内の医療機関で働いた。 2007年末に生まれ育った東京を離れ、妻の故郷の沖縄に移住。長男が生まれ、近所の中学生が息子とよく遊んでくれていた。そこで何かお礼がしたいと、病院に勤務する傍ら、自宅マンションの一室で勉強を教えはじめた。沖縄の子どもたちと接して、「あなたの夢は?」ときくと、多くの子どもが「公務員」とこたえた。何がしたいというわけでもなく「公務員」なのである。これは、沖縄は本土に比べて低所得のため、安定と所得を求めてのことなのだ。こういった中で、子どもたちの夢を持てない状態を知った。そこで、沖縄の問題解決の一つに学力向上が必要だと考えた。「県外にも負けない学力、行動力をつければもっと豊かになれる。子供たちが夢を持てる」とブログで自分の理想を発信した。その様子を見て、妻も一緒に取り組みはじめた。2011年夏、30人の生徒が集まり、妻がテナントを借り、翌年の正月に私も病院を退職して、塾専業になった。生徒数も増加し、2012年3月には4階建のビルに移転し、現在では約150名の小中高生が学んでいる。塾の理念に、「沖縄の子どもたちが夢と希望にあふれる存在になっていただく」と掲げている。そのためには、受験という難関も乗り越えなくてはならない。難関を突破するためには、我慢や努力が必要。時には、辛くて諦めたくなることもある。しかし、目標を達成した時には自信と将来への力となるのだ。本年度は、県内トップ校である県立開邦高校に地域№1の合格実績、高校全員合格も達成。東京の塾と変わらない教材、ベテラン講師陣を揃えてサポートする体制も整えている。受験指導以外にも、各分野の専門家を招いての講演会、海浜清掃のボランティア活動、そして、母校の「現代学生百人一首」への参加などをしている。これらは、社会活動を通して、広い視野を持ってほしいからである。また、東洋大学出身の多くの先輩方が、沖縄経済界の中心として沖縄の発展のために活躍されている。諸先輩にも感化されつつ、日夜、努力をしている。校友の群れに、沖縄の高校生が1名でも加わることを願ってやまない。これからも、未来の沖縄のために、生徒さんたちと共に歩んでいきたい。大

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