東洋大学校友会報 No.268
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TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION●26811校友昭和49年 3月 法学部法律学科卒業現在の役職日本詩吟文化学院 学院長荒川区老人センター講師日本クラウン吟友会日本詩吟協会理事(株)サン・トレーディング代表取締役東洋大の思い出の原稿のお話をいただいて、入学から卒業までの4年間を久しぶりに振り返ってみました。入学時には、新入部員を勧誘するデモンストレーションが色々行われていましたが、私は父が趣味の囲碁部に入りました(何故かというと、入部しなければ学費を出さないと脅された為です(笑))。一緒に碁を打ちたかったのでしょうね。入ってみれば女性部員は先輩が一人、新入生3名でした。部室は、今の甫水会館の所なのでしょうか、一軒家でお庭があり平屋の和風建築で、縁側で碁盤を出し、のどかに皆で碁を打っていました。そう、部員は15名ほどいたのでしょうか。その時代わが東洋大は、大学囲碁リーグで東大と並ぶ一部にまで入りました。とても強い先輩たちがいらしたのですね。今の囲碁部は、どんな感じなのでしょうか。授業といえば学生運動真っ只中で、学校はロックアウトばかりでした。私もデモに参加したり、新宿西口広場で沢山の人たちと反戦歌を歌っていました。その影響か卒業していったんは就職したのですが、半年で退職して劇団に入団し、30歳頃まで演劇活動をしました。今思えば、その頃が青春だったのでしょうね。そして、私が50歳になった時に、自分の人生をもう一度振り返ることがありました。24歳で父の医院の事務を手伝い、結婚をしてからは会社経営もすることになり、仕事、家庭、子育て…自分の人生って何をしてきただろうと。日常の忙しさにただ漠然と一日をこなしていくという日々に、終止符を打ちたいと思いました。私は20歳の時から母に勧められて吟詠を習っていたのですが、その師匠が病気でお亡くなりになられました。うちの学院は、荒川区老人センターという60歳以上の方々に色々なカルチャーを用意して、健康やご高齢者の方の引き籠りを軽減するための施設で、吟詠教室と朗読教室を持ち指導していました。そこに、師匠の代わりに私が朗読を指導に行くことになったのです。吟詠は母が2代目学院長になり引き継ぎましたが、私がどこまで出来るのか、学院を継ぐ能力が自分にあるのか、改めて今までの芸に対するちゃらんぽらんな姿勢を問いただされたような気がしました。そこで、難関といわれている日本クラウン吟友会のコンクールに挑戦してみることにしたのです。毎年約5千人が受け、東京地区予選、関東地区予選、全国決戦、さらにその中から30名で最終決戦!そして10名が入賞です!皆さん毎年毎年、熱吟を繰り広げています。私も途中で投げ出したいと思ったことがありましたが、自分の人生のけじめをつけるのだと言い聞かせ頑張りました。5年掛かりましたが、お陰様で栄えある全国1位で入賞出来ました。そして、同年度に日本詩吟協会コンクールで第1位文部科学大臣賞をいただくことが出来ました。これを機に母から学院を引き継ぎ、3代目学院長になりました。これは、神様からのご褒美だと思っています。投げ出さないで続けることが大事ですね。そして東洋大とも10年程前に荒川分会の皿井先生からお誘いのお電話があり、卒業後初めて学校関係の集まりに顔を出してみました。分会なので皆地元が多く、また同じ学校だということなのか、すぐ打ち解けることが出来ました。支部総会にも顔を出すようになり、そのご縁で異業種交流会白山会、芸能人協会、女性連絡会発足まで参加させていただきました。2~3年程前には、社会学部の学生さんが〝卒業生30人に聞く〟という本を出すということで、掲載していただきました。6月の城北支部総会では、白山スカイホールで「ものがたり吟詠」をする予定です。この10年で、母校と親密になれたことをとてもうれしく思います。(28・5・31記)こ武島 眞美 たけしま まみ  吟号:武島 鳳珠(たけしま ほうじゅ)

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