東洋大学校友会報 No.269
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TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION●26911校友昭和49年短期大学ホテル観光学科卒業第一製薬株式会社に入社平成19年日の出興業株式会社 代表取締役就任 現在に至る21年神奈川県政策審査委員24~26年横浜市都市計画審議会委員現在NPO横浜創造まちづくり学会 常務理事NPO日中韓観光協力機構 理事NPO汎房総地域づくり研究会 理事厚生労働省 大田年金委員会 監事公益社団法人蒲田法人会 女性部会副会長一般社団法人大田労働基準協会 幹事国土交通省 東京湾再生官民連携フォーラム 企画運営委員大田区生涯学習「おおた区民大学」学習支援者東洋大学国際観光白山会 副会長東洋大学校友会 代議員、女性連絡会副会長、神奈川県支部副支部長など再び学まなび舎やへリンピックに縁あり今年から「山の日」の8月11日が新たな祝日となり、夏季休暇の幅が広がりました。日頃、仕事やボランティアなどで忙しく動き回っている私は、都心が静寂になるお盆休みに、このエッセイを書く計画をしていました。ところがブラジルで開催のオリンピックと重なり、しかも日本勢は、メダル獲得数も過去最高となる大活躍です。12時間の時差があるリオデジャネイロ五輪のテレビ中継観戦で連夜の寝不足状態に陥り、日中の眠気と格闘しながら筆を執っています。 今大会には、我が東洋大学から8名もの学生・卒業生が日本代表選手として出場しています。40年以上前に学生だった私は、将来、今のような日本スポーツ界のトップアスリートを輩出する大学になるとは想像もできませんでした。競泳初日の萩野公介君の金メダル第1号が、日本選手団の大きな励みとなり、メダルラッシュに勢いをつけたことを、卒業生の一人として誇らしく思いながらエールを送っています。オリンピックといえば、観光学科もゆかりがあるのをご存知でしょうか。1963年に、翌年開催される東京オリンピックに訪れる外国の人々を受け入れるためのホテルマン養成として観光学科が設置されてから、今年で53年目を迎えます。そして、来春(2017年)国際観光学部が開設されることになっています。4年後となる2020年東京五輪では、後輩たちが「日本のおもてなし」を担ってくれるものと期待します。私は、ホテル観光学科の10期生です。当時、大学のランドマーク的建物であった蔦の絡まる図書館の地下に実習室があった観光学科は、その後の観光業界の隆盛を予見させるかのような、とても華やかな雰囲気でした。やがて高度成長時代とともに、JALパックの登場や沖縄リゾートビーチがヒットし、海外旅行ブームが到来しました。あの頃を振り返ってみると、ホテル観光学科の学生として業界最高の帝国ホテルで実習できたことも、私の人生での貴重な体験となりました。九州出身の素朴な娘には、カルチャーショック連続の日々であり、短くも楽しい学生生活でした。再び白山キャンパスで学ぶ卒業後は製薬会社に就職、父の友人の会社を経て結婚を機に専業主婦となりました。下の子どもが小学生になり、義父の会社で仕事を始めました。15年ぶりの社会復帰で家庭と仕事の両立は大変でしたが、子ども達が大学生になった頃、50歳を過ぎたこれからの生き方を考えるゆとりができました。ある時、新聞記事で東洋大学のイベントを知り、卒業以来となる母校を訪問しました。35年ぶりの東洋大学のあまりの変わりように時の流れを感じながら、井上円了ホールでの講演が終わり混雑している出口で、ふと目にしたチラシが運命の出会いとなりました。それは、板倉から白山に移転した大学院国際地域学研究科の募集でした。短大生の頃は、学外実習も多く、学生運動のロックアウトもあり、機会があれば学び直したいとの気持ちがありました。新たな人生への挑戦でした。7年間の大学院での国際地域学に関わる研究は、人間としての価値観の裾野を広げてくれました。留学生を交えて、国家間の枠組みを超え、多様な考えを尊重し、文化の違いを理解する必要性やコミュニケーションの重要性など、多角的視野を探求しました。これらは国際開発に限らず、私たちが生活している社会でも通じる大切なものだと気づかされました。もちろん、私自身の仕事、NPOをはじめ、まちづくりに関わるさまざまなボランティア活動にも大いに役立っています。 未来へ向かって、学問もスポーツも躍進を続ける母校を訪れてみませんか。きっと、あの頃のあなたと、そして新しい何かに出会えると思います。オ櫻井 裕子 さくらい ひろこ  

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