東洋大学校友会報 No.270
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6TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION ● 270校友金子 俊二 かねこ しゅんじ校友竹吉 優輔 たけよし ゆうすけ1980年茨城県取手市生まれ2006年東洋大学大学院文学研究科博士前期課程修了2008年〜牛久市立中央図書館に司書として勤務2013年5月『襲名犯』で第59回江戸川乱歩賞を受賞2016年11月 牛久市立図書館 名誉館長の称号を受ける2017年2014年に講談社より刊行された『レミングスの夏』が映画化され、全国公開予定近著に『ペットショップボーイズ』(光文社)がある研究と親友が文学への理解を深めたいと東洋大学大学院の門を叩いて、十年の歳月が経とうとしている。東洋大学で、私は親友二人を得た。いささか私的に過ぎる感もあるが、今日は親友について語りたい。 若かった私は、勉学の合間を縫っては友人と酒を飲んで語り合い、終電を逃してはまた飲むという学生特有の無茶をよくしたものだ。よく共に過ごしたのは、同期で上代文学研究家の池原陽齋君、そして一学年後輩で平安文学研究家の古田正幸君であった。 私は現代文学を専攻しており、彼らと授業を共にすることは滅多になかったのだが、なぜか三人でいつもつるんでいた気がする。特に古田君が入ってからは、毎週どころか三日に一度は酒を飲み、若さ故の大言壮語で大望を語り合っていた。……前言を撤回させていただく。私は勉学の合間を縫って友人と酒を飲んで語り合っていたわけではなく、友人と酒を飲んで語る合間に勉学をしていたようなものである。 彼らは生まれつきの研究者であり、勤勉であった。私は彼らの隣で、勤勉のふりをすることが精一杯であった。酒に酔った私は、小説家になりたいことと、いつか驚天動地の一作を書きたいと語った。これも若さ故である。何もない私に対して、研究者として確固たる自分を持ち続ける二人は眩しく、何よりも大切な友人であった。 語り、語り、語り尽くし、飲み、飲み、飲み尽くした。ちなみに、古田君は酒が苦手で、池原君は酒豪、私は飲むのは好きだがすぐ酔うという、三者三様の有様であった。池原君が研究について語り、私が創作について語り、古田君が後輩の哀しさか、仕方なく頷くという日々。私の人生の中で、最も「夢」というものについて考えた時間だ。 当時から、彼らは才能に溢れていた。きっと二人は大物になるに違いない。だが、私はこのままでは何者にもなれない。そんな思いを抱えた私は、いささか切ない思いを抱えたまま卒業した。池原君は博士後期課程に残り、古田君もその後を追った。私はサラリーマンとなり、目の前の仕事をこなすだけで精一杯の日々だった。時は無情にも過ぎて行く。私は、物語への憧憬を忘れ、食べるために働いた。彼らと語り合った時間を遠くに感じながらも、それでもひたすら働いた。 ある日突然、持病の不眠症が悪化し、会社を退職することになった。自分は何をやっている―。古田や池原はもっと先に行っているぞ。そう考え、病院のベッドの上で苦悶して過ごした。古田君は暇を見付けては病院に顔を出し、焦燥する私を励ましてくれた。そして、池原君の活躍を伝えてくれた。 私は、やり場のない気持ちを物語にした。二人への羨望、嫉妬もあったと思う。とにかくありったけの叫びを白紙にぶちまけた。書いてやる、書いてやる。何が何でも書いてやる。かつての私は、あの二人と肩を並べて語り合ったのだ。最高に自慢できる大切な二人と一緒にいたのだ。私だって、負けてたまるか―。そう思い、必死で書き続けた。それが私の、初めての応募作であった。あれから時が経ち、私は偶然が重なって小説家になった。毎日が勉強であり、今も物語を書くことの難しさと日々対峙している。 そして今、改めて彼らを思う。古田君は俊英として研究書を上梓し、宮城学院女子大学で教鞭を執っている。池原君は、第33回上代文学会賞、平成27年度「文学・語学」賞を受賞し、東洋大が誇るべき泰斗となった。 一歩先へ行ったと思えば、すぐに二歩先へ行く。まったく、困った同期と後輩だと思わず苦笑が漏れる。いや、私は最初から彼らと競争していたわけではない。私はただ単に、昔みたいに三人で肩を並べたかっただけなのではないか。当然、それならば昔みたいに酒席を共にすれば良い。私は大望を語り、池原君は研究について語り、そして古田君は後輩の哀しさか、我々の話に頷いてくれるだろう。 大学院生としてはぼんくらだった私だが、彼らの近くにいたことを誇りに感じている。現在の東洋大にも、素晴らしい学生がいるだろう。勉学も大事だが、尊敬できる生涯の友を見付けることも素晴らしいと老婆心めいたことを記し、筆を置こう。 久しく親友二人と酒席を共にしていない。池原君の研究書が発売となったので、祝いの酒でも誘ってみるか。私

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