東洋大学校友会報 No.273
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8TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION ● 273落合楼物語「林りんがく壑の幽ゆうすい邃にして渓流の清霊なるは、豆州諸温泉場中、落合楼にしくもの少なし」大正三年五月二日、学祖・井上円了翁が奥羽旅行に先立ち、湯ヶ島温泉を訪れ当時の「落合楼」に逗留された際『温泉紀行(湯ヶ島紀行とも)』に書き残した言葉である。同じ頃、湯ヶ島には川端康成が頻繁に訪れていた。宿泊先は湯本館で『伊豆の踊子』を執筆していたが、「私は落合楼の庭を通り抜けてみたり、前の釣橋から二階を仰いでみたりして、秋や冬だと、私の宿ではまあ見られない都会の若い女、女に限らず男までもが、廊下を歩いたり庭にたたずんだりしてゐるのが見えると、心安らいで自分の宿に帰るのである」と落合楼にも頻繁に出入りしていた様子を『湯ヶ島での思ひ出』に表現している。そのほか、淀野隆三、尾崎士郎、宇野千代、広津和郎、萩原朔太郎など多くの作家や芸術家が滞在した。さらに映画のロケも盛んに行われ、大正十年から昭和元年にかけて、島津保次郎が、「山暮るる」「水車小屋」など四本の映画ロケのため長期滞在している。そのときは、女優の梅村蓉子や三村千代子らも落合楼に宿泊し、玄関前で熱演していた。当時の湯ヶ島は山桜の里でもあった。「うすべにに葉はいちはやく萌えいでて、咲かむとすなり山桜花」裸の枝に葉が小さく芽を吹いている。今にも花が咲きそうだ。湯ヶ島を愛してやまなかった若山牧水の胸のときめきが聞こえるようだ。牧水のみならず、多くの文人墨客が、昭和になっても訪れていた。そうした客を迎え入れるため、昭和八年から十二年にかけて、玄関棟・本館棟・眠雲亭棟・紫檀宴会場棟・配膳室階段棟・応接棟・居宅棟などが次つぎに建築された。落合楼村上の現在の姿は、この頃にその基本が整備されている。本館が完成してまもなく、北原白秋が二十日ほど滞在して歌作に専念し『渓流唱』三十七首を詠んだ。歌集の前書きに、「昭和十年一月伊豆湯ヶ島落合楼に遊ぶ。淹えんりゅう留二十日余、おおむね渓流に臨む湯滝の階上に起居す」とある。現在の本館二階「松一の間」である。柱や長押は桧で統一され、床柱は黒柿か紫檀を用い格式の高い本格的な普請である。本館が格調を重んじているのに対して、眠雲亭は粋人好みといえようか、一階の柱は桧の四方柾であるが、二階は杉の面皮柱が使われており、柔らかい風情の数寄屋づくりの趣でまとめられている。平成十四年十一月、落合楼は「落合楼村上」として落合楼物語の第二幕を再スタートさせる。あれから十五年、有形文化財の伝統建築を維持保存しながらも、2017おもてなし規格認証★(金認証)、OMOTE NASHI Selection2017体験・サービス部門『金賞』受賞など、提供するサービスにも磨きを掛け、お客様に喜んでいただくことをなにより大切に、お客様の期待を半歩上回るおもてなしを心掛け、物語を刻み続けている。創業明治七年、日本の伝統建築にモダンさが調和した国登録有形文化財の木造旅館。約3500坪の敷地に客室は僅か15室のみ。歪んだガラスや幾何学模様・絵画的デザインが美しい組子細工は昭和初期にタイムスリップしたようだ。天城山系から湧出る清流や滾こんこん々と溢れ出る源泉掛け流しの温泉、地の旬の素材を生かした会席料理、山岡鉄舟や北原白秋など数多くの文人・墨客が静寂を求めて訪れた宿でゆったりとした時を愉しんでいただきたい。天城湯ヶ島温泉 落合楼 村上〒410-3206静岡県伊豆市湯ヶ島1887-1TEL:0558-85-0014URL:http://www.ochiairo.co.jp/主人 村上昇男(昭62機械)※校友の皆様への特典のご案内

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