東洋大学校友会報 第250号
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TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION●25015東洋大学と竹久夢二昭和20年茨城県生まれ平成12年文学部国文学科(通信)卒業平成14年日立製作所退職平成16年玉川大学教育学科(通信)卒業現在フリー学芸員茨城文芸協会員暮鳥会員大正イマジュリィ学会員 森 誠造 もり せいぞう竹久夢二を研究中です。夢二は、東洋大学に縁がありました。次の三例で紹介します。①竹馬の友の正富汪洋、②円了を描いた岡田三郎助、③麟祥院。 「大正浪漫の寵児」夢二は、明治十七年、岡山県に生まれました。「宵待草」「黒船屋」の作者として著名ですが、実は、基督教信者で野球好きの、意外な人です。青年期は、社会主義者でした。年代こそ違えど、誕生月日は本学の創立記念日に同じく九月十六日なのです。竹馬の友の正富汪洋 夢二生家の近くに正富汪洋(本名由太郎)が居ました。夢二より三歳年長ですが、いわば、二人は竹馬の友でした。汪洋は、本学の前身、哲学館に学んだ後、詩人として活躍。日本詩人クラブの創設に尽力しています。 『書窓』に寄せられた汪洋の手記に「夢二君の小學生時代」があります。幼少時から晩年まで、汪洋と夢二が交流していた様子を、こまごまと綴っています。なかでも、次の一節が印象的でした。私も、非常に、幼年時代は繪畫を好み、畫家として世に出ようと念じてゐた 汪洋は、夢二と共に絵画にも優れ、大人達を驚愕させたのです。 また、夢二生家の裏山に、次の詩が刻まれた汪洋碑が建立されています。柿の実に柿の実の味リンゴの実にリンゴの実の味割られても切られても失われない味 つまり「自分を貫け」と、汪洋は説いたのです。この教えを、夢二は実践しました。富と権力を求めず、ひたすら独往して、評判の夢二式美人画を確立したのです。円了を描いた岡田三郎助 ところで、岡田三郎助をご存知でしょうか。本学創立者・井上円了の肖像画を制作した画伯です。洋画界の巨匠で、第一回文化勲章の受章者です。 その岡田のもとを、夢二は、自作の水彩画を持って訪ね、教えを請うています。岡田が円了肖像画を完成した翌年の、明治四十一年のことです。 岡田は、水彩画を一目見るなり、夢二に特別の画才があるのを見抜きました。夢二著『砂がき』に、岡田の教えが記されています。美術學校という所は、畫のABCを教へる所だし、生徒をみんな一様に育て上げるのだから君には向かない。 既に持つ、個性を大事にするよう諭したのです。結局、夢二は、岡田の教えを信じて美校進学を止め、画壇に属さぬ、独往の道を選びました。 ただし、美術研究所に学び、血の滲むようなデッサン習練を重ねました。 デッサンを重視したのは、岡田からの「厳命」です。精進する夢二を、岡田夫妻は、終始温かく見守りました。 「円了肖像画」を、私は、在学中に図書館で見たように記憶しています。麟祥院の記念碑 夢二と恋人彦乃は、本郷界隈を密かに散策していました。途中に、麟祥院があって、夢二日記にも登場します。 今は、境内に「東洋大学発祥之地」と刻まれた、大きな記念碑が建立されています。本学の前身である、哲学館が在ったのを記念した碑です。 夢二も彦乃も、哲学館の時代から、本学を知っていたのでした。 なにしろ夢二は、大正浪漫の頂点に立つ人です。随所に、円了に似た「権力に頼らず自分を貫く精神」を見せています。あるいは、汪洋を介して、円了の教えが浸透していたように推察します。 時は流れ、卒業生の一人の小生が、本学創立百二十五年の年に夢二を紹介しますのも、何かの縁でしょうか。在学中は、山崎甲一教授をはじめ、皆様のお世話になりました。 水戸偕楽園の梅も香る季節を迎え、皆様のご清祥を祈念しております。校友

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