東洋大学校友会報 第251号
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TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION●25129(第633号 昭和38年10月10日)●昭和38(1963)年11月第1回白山祭の開催 昭和38年から、これまで行われてきた「大学祭」の名称が「白山祭」へと変更となった。大学祭を慶應大の“三田祭”や東大の“五月祭”のように伝統あるものに確立していこうというもので、さらに統一スローガンを設けるものとした。第1回白山祭は、11月21日から24日まで「人間を返せ!大学における人間性の再認識」をスローガンとして開催された。(第636号 昭和39年1月23日)●昭和39(1964)年4月通信教育部を新設 東洋大学は、昭和39年度から通信教育部を設置することになった。大学通信教育は、「教育民主化の精神に則り大学教育を広く開放する」ことを趣旨に、当時、他の私立大学でも行われていた。東洋大学が設置したのは、文学部国文学科で修業年限4か年、入学定員1000名(収容人員4000名)であった。なお、昭和41年度には法学部法律学科が増設された。(第640号 昭和39年6月2日)●昭和39(1964)年6月就職あっせん6月上旬から 就職課でまとめた調査によると、昭和38年度の東洋大卒業生の就職率は約70%で、この低い率は統計に現れない縁故などによる就職があるためとしている。来春(昭和40年)の就職については、すでに100社以上の求人がきており、就職課では6月初めころから斡旋を開始するもようであると報じている。昭和31(1956)年、東洋大学に入学した私は、迷わずサークルに新聞学会を選んだ。当時の『東洋大学新聞』はほぼ月刊で発行されており、全面購読制だったため経営基盤は安定していた時代だった。この年4月には地下1階地上5階建ての本館(旧5号館)が落成、正面中央にはカント・孔子・釈迦・ソクラテスの四聖のレリーフがはめ込まれており、木造を含む当時の古びた校舎の中でその威容は圧巻だった。そんな玄関先で写したこの1枚の写真は、東洋大学新聞学会が6月に新入生歓迎講演会をこの新校舎で催したときのもの。講師には大学新聞のOBで当時読売新聞の運動部長でのちに読売巨人軍代表になられた佐々木孜美氏を迎え「学生とスポーツ」の演題で講演をいただき大好評を博した。(写真・後列左から五人目の佐々木氏と新聞学会のメンバー)�広報部会 羽島知之コラム思い出の一枚の写真

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