東洋大学校友会報 252号
9/36

TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION●2529をすること、二つ目はお互いに何をやっているのか、人の仕事を観察すること、三つ目は30分ごとに自分が何をしていたか、1か月ぐらい記録をとることでした。それから、職域も職責も全部替えました。そうすると、ついて来られない人は辞めていくんです。30人ぐらい社員がいましたが、1年半で十数人が退社していきました。その代わり、若い人がどんどん入ってきてくれて、現在は、23人でやっています。 それから自動化を早めること、コツコツと貯めていったキャッシュ・フローで機械化を進めること、同時に一人の人が何種類もの仕事ができるように、多能化させました。印刷工で入った人も、いまはマックでデザインができるようになりましたし、作業工程も、とにかく無駄のない配置を考えてやってもらっています。次の日の仕事の半分くらいまでを、前日にできる体制にしてコストを下げています。 あと一番大事なことは、自分たちが何をしなければいけない人間なのかということをまっすぐ教えることです。周りからよくやったと言われてはじめて、社長の言っていたことは、こういうことなんですねと社員が感じる、自分の立ち位置がわかるというか、それは素晴らしいことだと思います。羽島 女川町に、スポーツを通して地域の発展を図るための事業として社会人サッカークラブの「コバルトーレ女川」を持っていらっしゃいますね。近江 震災では選手に一人の犠牲者も出ませんでしたし、震災後は、みんなが町の復興のために、本当に死に物狂いで頑張ってくれました。羽島 近江社長は、これまでずっと「地域への貢献」をモットーに活動してこられました。今後の展望として、どのようなことを考えておられますか。近江 今回の大震災で大きな打撃を受けた新聞事業が立ち直ってくれれば、あとは何とかなると思うのですが、これはなかなか難しいです。別に儲からなくてもいいから、地域のために仕事ができる集団を保持することは、地域にとって大事なことだと思います。 皮肉にも、たまたま3・11の大震災で実際に購読料がゼロになってしまったのですが、実は、震災前の2月の編集会議で、あと5年したら、購読料をいただかなくても新聞を発行できる仕組みを創ろうと宣言したのです。われわれは全国紙やブロック紙と競合する必要もないし、すべきでもない。ということは、新聞自体の立ち位置が全然違うということです。一つのエリアを任されているとすれば、そこの地域の人たちに関わっていく活動が一番大事であって、その結果として新聞を出すということになります。ただ、いまの段階だと、なかなか地域が再生して来ないので、こちらから、つまり自分たちで町を作ろう、出て行こうと考えています。 例えば、地域版テレビといった、随時、地域の情報を提供できるシステムを作ることを考えています。地域紙が新聞として読まれることを100%考えるのではなくて、日時の情報は新聞で、隔週の情報は広報誌で、ミニコミは月刊誌で、随時の情報はネットワークでやります、ということです。地域の情報を随時、提供することは大事なことですが、それがいま、ないんです。こうしたいくつかの柱のなかで、地域紙は存続できるのではないか、新聞だけに利益を求めても、たぶん苦しいだけだと思います。 また、こうした小さな新聞だからこそ、コンテンツや主張が大事だと思います。21世紀は、新聞が受け持っている領域は狭まっていくと思います。なぜ、これまで新聞が続いてきたかというと、一番確実で、速くて、何回も読み返せたからでしょう。いまはインターネットで料金もかからずに、繰り返し見ることができます。 これからは、ストック性の強いオピニオン的なものと地域とが結びつけば、新聞を読んでもらえるのかなと考えています。羽島 今日は、地域に根を張って生きる、近江社長の穏やかであって、それでいて熱い思いを強く感じることができました。今後のご活躍を期待しています。ありがとうございました。『6枚の壁新聞 石巻日日新聞・�東日本大震災後7日間の記録』石巻日日新聞社編(角川SCC新書 平成23年7月)近江弘一氏プロフィール昭和33年石巻市生まれ。昭和56年3月社会学部社会学科卒業。大学卒業後、マリンスポーツ用品の製造・販売事業を24年間展開。平成18年「地域貢献」を人生の活動テーマに据え、地域活性化事業として社会人サッカークラブ「コバルトーレ女川」を設立。同年6月、石巻日日新聞社取締役総務局長に就任。平成21年より同社取締役社長。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です