東洋大学校友会報 253号
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TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION●25311OPEN SPACE オープン スペース閑中雑感 安藤明郎 昭34経営 札幌 卒業後五十数年、「光陰矢の如し」「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」の朱熹の言葉が胸に突き刺さる思いです。 昨今は、暇にまかせて、『日本経済新聞』を精読し、できれば仏教、儒教、道教から人生を結論づけたいと願っている日常です。かような次第ならば、在学当時、多くの泰斗が教鞭を執っておられた中国哲学、印度哲学の講義を拝聴しておけばと後悔しているありさまです。 肢体上の重度障害者である私が、本学を卒業させていただき、以後、就職、結婚、子の親としての仕合せを感じることもでき、今日まで障害者の家内をはじめ、家族、友人、その他多くの人々に恵まれたことを、心から感謝しております。私が中学校を卒業した時に、担任の恩師の先生が書いてくださった「邁進せよ 光は招く」の言葉が懐かしく想い出されます。 母校も各位の奮励・努力により、知名度が上昇し、現在、学部学生数で、日本、早稲田、立命館、近畿、東海、明治、慶應義塾、法政に次いで全国9位、この隆盛に驕ることなく、質的な向上も目指して健全なる発展を心から願っております。病気と共生して「百歳」に挑戦 金子俊二 昭32社会 新潟 馬齢を重ねて82歳の夢多き老人である。日本男子の平均寿命は79歳余であるが、自身の最終目標は百歳である。それは、町役場の吏員であった父が、寿命あれば元気に百歳まで生きて新潟県知事から祝ってもらうのが夢だったからである。残念ながら、不慮の事故に遭い、あえなく平成7年に94歳で他界した。 私は農家の5人兄弟の次男坊で、父に代わり母が1町歩余の田畑を耕していたため懸命に手助けした。父が親戚筋の借金保証人となり、その返済でそれはもう家中が想像を絶する大変な苦労を味わった。だから兄弟は義務教育を受けるのが精一杯であった。私は、両親の苦労を見て子供心にも「人生は長い、回り道をしてでも独立独歩、家のために尽くしたい」という野心に燃えた。その信念に基づき、旧制中学の5年間は月謝捻出に筵織り、高校と大学は夜間の勤労学生だった。振り返って、当時は何処とも生活が貧しくて、世間の誰もが贅沢を知らず不平不満はなかった。 中学高校の教師を目指したが、方向転換して全国社会福祉協議会(全社協)で社会福祉事業の全般を修業したあと、1法人5施設の病院と特養施設のあるところで働いた。中間管理者として、また不規則な生活の無理がたたって大きな病気の連続。即ち、結婚、病気、離婚、病気、再婚また病気だった。主治医の転地療法の勧めで、定年を機に故郷の佐渡に帰った。そして10年前に余病の腸閉塞手術、8年前には不治のがんに罹り、これが薬剤の副作用で劇症肝炎となった。九死に一生を得て、目下のところは、安定推移しているものの予断を許さない。けれど、私には強い目的意識があるので、こんな病気では絶対にへこたれない。 さて晩年の父は、いつも読書して和歌俳句を作り、また日記を書いていた。老人クラブ会長として町社協の陶芸教室に通い、仲間と「のろま人形」作りを楽しんでいた。私は、前述の通り、前記法人の信任を受け、事務管理と防火管理者として入院、入所者の「人命安全と施設保全」に心血を注いだ。必然的に地域では、地区老人クラブ会長に推挙され、断る理由もなく継続。また、市社協から「友愛訪問員」の委嘱を受け、80歳以上の一人暮らしのお年寄りを訪ねて、語り合いを通じて支え合う「友愛活動」に生き甲斐を感じている。 私は、長生きの秘訣は「病気と上手に付き合うこと」と思っている。そして、私の生活信条は「朝は希望に起き、昼は努力に活き、夜は感謝に眠る」である。加えて老夫婦二人の年金生活にて、「入るを計り出るを制す」に心掛け自給自足の生活を送っている。また向学心に燃え、公民館生涯学習の「ふれあい学級」では、学級長として仲間と楽しく学習して語り合い、今にしてやっと老春を謳歌し満足感で一杯。あと百歳まで18年である。人生は七転び八起きである。満身創痍の肉体なれど、これからも一層健康に留意して、「百歳万歳」に向け挑戦努力し、生ある限り世のため人のために尽くしたい。 長い闘病に打ち勝ち、こうしていられるのは、「母校東洋大学と箱根駅伝」あってといつも感謝している。母校東洋大学の益々の発展を祈ります。

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