東洋大学校友会報 253号
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TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION●25213民放ラジオ事情と防災対応校友大﨑 修 おおさき おさむ今群馬県出身昭和51年3月 �法学部経営法学科卒業 静岡けんみんテレビ(現静岡朝日テレビ)、 東日本放送にアナウンサーとして勤務 昭和60年の開局時に地元エフエム群馬に入社、 報道部長、東京支社長などを歴任年も「防災の日」に災害時の„ラジオの大切さ〝があちこちで取り上げられた。▼ラジオは電池があれば、ほぼどこでも聞こえる。▼ラジオは仕事をしながらでも、車の運転をしながらでも邪魔にならずに聞くことができる。▼ラジオは持ち運びができる。▼簡易に買い求められる、などなど。 ラジオは、過去の災害時において大きな力を発揮してきました。平時は天気予報など漁師の漁船の操業の情報源として、また、台風などの際、気象情報や防災注意喚起に大きな役目を果たしたのはもちろんのこと、阪神淡路大震災の時やニューヨーク大停電の時、そして記憶に新しい東日本大震災においても、情報源として大きな役割を果たしました。 ラジオは、災害時・有事には特に大きな力を発揮する「生活に必要な媒体」なのです。 民放ラジオ局の歴史は、1951年9月1日に愛知県の「中部日本放送」が開局したのが始まりです。私が生まれた4日の後のことでした。 現在は、全国で民放ラジオ局はAMラジオ局48社、FM局52社、短波1社、合計101社となっています。ちなみに民放FM局の最初は、昭和45年5月のFM東海(現TOKYO FM)で、現在、数の上では先発のAM局を上回っています。 また、1992年のFMいるか(函館市)に始まったコミュニティーFM局は現在(6月時点)、全国で261局を数えます。 さらに、阪神淡路大震災や中越地震、東日本大震災の際に見られたような「臨時災害放送局」などのラジオの立ち上げも可能です。このような様々な電波を活用して、いざという時にはそれぞれが特性を活かし、リスナー(視聴者)に有用な情報を流せるよう準備を進めています。 ちなみに、群馬では県域のFMぐんまと県内コミュニティー放送局が防災協定を結び、その一環として毎年「防災特番」を共同制作し、同時間で放送しています。 私は学生時代、6号館地下の「アナウンス研究会」の部屋で多くの時間を過ごしました。隣には「テレビ放送研究会」がありました。恥ずかしながら、大学の思い出のほとんどが6号館地下で紡いだものばかりです。 その頃のラジオといえば、野沢那智・白石冬美の「ナチチャコパックインミュージック」、土居まさる、落合恵子(レモンちゃん)の「セイヤング」、糸井五郎の「オールナイトニッポン」など、人気ラジオ番組が目白押しでした。城達也さんの「ジェットストリーム」を聞きながら「疑似海外旅行」もたくさん経験しました。なんと都会的で上品な番組だったことでしょう。ラジオには、話題も豊富で海外の映画音楽やポピュラーソングなど音楽情報も満載でした。 今はというと「ラジオ離れ」がささやかれて久しく、聴取率も低迷しています。しかし、ラジオは昔と変わらず防災や災害時に必要な媒体です。 東洋大学出身でラジオ局で活躍されている皆さんも数多くいます。これを読んでいただいた皆さん、「防災に役立つ」ラジオということでなく、地域の情報を知り得る身近な媒体として、ラジオ聴取の時間を増やしていただければ幸いです。

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