東洋大学校友会報 253号
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TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION●25327⑤修学情況通知 (昭和11年12月24日)⑦教員免許状(師範学校中学校高等女学校教員無試験検定合格者) (昭和15年11月22日)⑥卒業証書 東洋大学専門部国漢科(昭和15年3月25日)⑧静岡県立沼津中学校教諭任命状(昭和20年4月30日) 東洋大学創立125周年企画の第8回目は、昭和10年から15年にかけて東洋大学の専門部で学生生活を送った一個人の東洋大生の軌跡です。 戦前期、東洋大学は、専門部を中心に中等教員(師範学校・中学校・高等女学校教員)養成を重視した教育を行い、無試験検定による教員免許状取得の許可学校として、ある一定の社会的評価を得ていました。 ここに登場するK・H氏は、大正5(1916)年12月8日に東京に生まれ、昭和10年3月10日、東京高等師範学校附属中学校を卒業して(資料①)、同年4月東洋大学の専門部東洋文学科第1部に入学しました(資料②)。東洋文学科は、倫理、国語、漢文を主な専攻科目として学ぶ学科で、資料③は、2年時の和作文の宿題です。同じ2年時の11年11月23日に開催された大学祭では、専門部の3つの科が合同で「長どすじあい脇差試合」という劇を催し、K・H氏は„鳥追女おあい"を演じました(資料④)。 なお当時、大学学生課では、学生の出欠席数を記録した「修学情況通知」を学生の保証人に対して、年4回送付していました(資料⑤)。 K・H氏は昭和12年4月から病気のため休学し、14年4月になって専門部国漢科の第3学年に復学、翌15年3月25日に卒業しました(資料⑥)。卒業時に中等教員の無試験検定を申請し、昭和15年11月22日付で「国語 漢文」の免許状を下付されました(資料⑦)。 卒業後は、貞静学園女子商業学校、安田工業学校教諭を経て、昭和20(1945)年4月に静岡県立沼津中学校の教師に任じられており(資料⑧)、戦後においても東洋大学出身の一教員として教育界で活躍されました。

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