東洋大学校友会報255号
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12TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION ● 255OSろうか。当時、現国立劇場が空き地であったが、そこで10万人の大抗議集会が何回も繰り返された。国会乱入の主流派デモ隊の中にいた東大生の樺美智子さんが圧死する大混乱となる始末。東洋大学の白山キャンパスも連日安保反対のアジ演説が繰り広げられた。社会党の浅沼稲次郎が右翼テロに刺殺されたのもその頃だった。 学園を巣立つその日、卒業証書の「学長 佐久間鼎」の名前を見て、小林芳規助教授(後、広島大学教授。恩賜賞受賞)が、「この証書はどこに出しても恥ずかしくない。胸を張って持っていなさい」とおっしゃったのを今でも忘れない。 あれから50年。大学の野球も強くなった。私が在学中は二部であった。4年生の秋に二部優勝し、一部の入れ替え戦となり、神宮第2球場での試合で声の限り応援。そして勝った。応援団以外の僅かな応援者は皆涙を流して狂喜した。あたかも一部優勝であるかのように。神宮第1球場での応援が一度もできなかったが、最高の記念となった。その後、後輩たちが何回も監督を胴上げした。 箱根駅伝では、芦ノ湖畔の優勝校を刻んだ碑に母校の名がないことが悔しかったが、ようやく優勝。涙が止まらなかった。一つ刻まれたかと思ったら、たちまち三つとなった。 三八会のたびに、野球と駅伝のことが最初に話題になる。今回、卒業後50年の記念すべき会を平成24年11月10日(土)、市ヶ谷で開催した。遠く北海道から参加してくれたり、病と闘いながらも体に鞭打って参加してくれた仲間もあり、本当に嬉しかった。参加できることに感謝しつつ乾杯。すぐにみんなは50年前の学生に戻る。大学生でいられるこの僅かな時間が、最高のひとときかもしれない。 「年々歳々花相似たり 年々歳々人同じからず」のまさに一節のごとく、今回も不明者の欄に名前が増えた。互いに1年を大切にして、また次回会えることを誓い合って解散した。※第11回の三八会は、平成25年11月9日(土)午後1時、今回と同じ市ヶ谷駅「都田川」(TEL:03─3235─2923)で開催する予定です。四聖のレリーフに想う      中桐規碩昭34社会 岡山 昨年11月23日、創立百二十五周年記念式典の招待を受け、大学の発展した姿を目の当たりに見て、大変嬉しく思いました。久し振りに、学祖が定めた四聖のレリーフの前に立ち、暫し想うことがありました。 なぜ、釈迦と孔子とソクラテスとカントが選ばれたのか、他の哲学者ではいけないのか。四聖がどんな存在であったかは大抵の人は知っています。この四聖は、私たちに生き方を教えてくれているように想いました。 すなわち、釈迦が私たちの最も身近に、コンパクトに教えてくれるものに般若心経があります。それは「いらいらするな、くよくよするな、ぎすぎすするな、大らかに、大らかに生きなさい」といっています。 孔子の論語は、君子養成の書であり、仁(愛)・知・勇を兼ね備え持つことが君子の必要要件です。そのような人は、品格のある生き方ができる。そのためのノウハウがこまごまと説かれています。 また、ソクラテスは、多くの青年に多大な影響を与えましたが、思想の中心は「汝自身を知れ」ということです。自分は何者であるか、何をすればよいかを自問するとき、成長がある。自分自身が解ったとき、よりよい生活に近づいていくことが可能になる。 カントは、三批判の主著の中で、人間の本質を説き、善悪美醜の基準について説明しました。私たちは、正しく、善く、同時に美しく生きなければならない。そして、それを実践しなければ意味がありません。 大らかに、品格のある生活を営み、顧みて、正しく、善く生きるために、私たちは学問を身につけ、社会に貢献しようとしている。私は、レリーフの前に立ち、四聖の声援を受けて、今を生きているように想えました。「きづな会」第42回総会を開催        片桐文夫   昭53経営 城北 東日本大震災以降、「絆」「きずな」の文字を多く目にするようになりましたが、我々の会の名称は「きづ、な会」です。名称の由来は、経営学部の教授であられた故永野瑞穂先生が

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