東洋大学校友会報258号
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14TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION ● 25813.5級 行間251行17字×1段29行×4段=1P1972字青春をもう一度校友藤村 和憲 ふじむら かずのり昭和18年岩手県盛岡市生まれ昭和34年東北ノート㈱(現・河北印刷㈱)へ入社昭和62年営業課長、その後営業副部長、取締役(営業部長)平成6年常務取締役平成17年専務取締役平成23年退任昭和56年岩手県立杜陵高校卒業昭和59年産業能率短期大学卒業平成2年 東洋大学法学部卒業現在 河北印刷㈱監査役を務める傍ら杜陵高校同窓会長、東洋大学岩手県支部副支部長希を過ぎた今、我が人生を振り返ると、私は河北印刷㈱一筋53年、学びながら働き続けた仕事人間だった。小学校5年生で父と死別、母子5人家族の貧乏生活、病弱で中学を長期欠席し高校進学を断念、「父さえ生きていたら」と悔しい思いをした。高校に通う友人を羨ましく思い、自宅療養しながら「これから先どうしようか」と思い悩む暗い毎日。そうしたとき、不思議にも「身を立て 名を挙げ やよ 励めよ(仰げば尊し)」の歌詞が心に浮かんだ。「何としてでも自力で生きて行かなければ」との強い思いに掻き立てられ、昭和34年の秋、ひとり、職業安定所の門をくぐる。不安な気持ちで「中卒では個人商店ぐらいだろう」と思っていたところ、東北ノート㈱を紹介され驚く。面接の上、事務職見習いとして採用になった時には、拾ってくれた会社に手を合わせたい気持ちになり、目の前に一筋の明かりが射したようにも思えた。入社後は、営業のみならず工場の力仕事もあり、体力的に辛い日々が続いたが、気がついた時には体力も回復し丈夫になっていた。24歳で結婚、自分を見つめる心の余裕も生まれ、長年にわたって高校に進学できずに悔しい思いをしてきたことから、昭和52年、35歳の春、杜陵高校通信制に入学。20年近く学校の勉強にはブランクがあり苦労もしたが、先生や級友に助けられて4年で卒業、この喜びは言葉で表現できない大きなものだった。 高校生活で幅広い教養を身につけることの大事さを痛感させられたことから、次に産業能率短期大学(販売管理専攻)へ進む。会社の仕事を終えて、夜行列車に飛び乗ってスクーリングに出席するハードな勉強が続いた。が、辛いとは思うことなく、むしろ、学ぶことに喜びを感じ仕事の励みにもできた。ここでの学びに刺激されたこともあり、卒業近くになると「企業の経営者に」との夢を持ち、益々、学ぶことに貪欲になっていた。「どうせなら、大学にも」と昭和60年、43歳で憧れていた母校東洋大学法学部へ入学。だが、このころ会社は存続さえ危ぶまれる状況にあり、2年間休学し「今、力を発揮しなければ」と会社のために必死で働いた。幸いにも会社の業績は徐々に回復したことから復学、ハードだった英語のスクーリングなども乗り越え、平成2年、49歳でめでたく卒業。苦労が報われた思いに涙した。学問はもちろん、人間関係の大事さなど人生を説いてくれた先生方に感謝です。13年間の勤労学徒の生活を成し遂げたことで、自分の力が信じられるようになり、それが仕事に活かされ、お客様への誠心誠意の営業活動で業績を伸ばし順調に昇進。平成17年には専務取締役となり、個性的な商品の開発に努めながら「全国に顧客を有する企業」を目指して経営に励み、自分なりの夢を実現できたように思えた。これも、職場や学校、社会の中で出会った人たちに支えられ導かれたことによるもの。現在、「社会にできることをして恩返しをしたい」と意欲を燃やしている。とりわけ、若い人たちに学ぶことや自分なりに夢を持ちチャレンジすること、意志を貫いて生きることの大切さを伝えたいと考えている。杜陵高校同窓会長として卒業生にメッセージを送る仕事が生きがいであり、母校東洋大学にもお役に立ちたいとも思っている。「青春をもう一度」と第2の人生にチャレンジしている私です。古

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