東洋大学校友会報258号
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TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION●25815わが東洋大学校友池田 方彩  いけだ ほうさい昭和32年12月大阪府生まれ昭和55年3月文学部哲学科卒業池田遊子を師父として実作研究に励む昭和63年~全国各地で個展開催平成13年ガン病で倒れるも九死に一生を得、奇跡のカムバックを遂げる平成15年『天真爛漫是吾師』(新風舎)を出版平成18年財団法人天門美術館館長現在に至る学の基礎は哲学にあり」―学祖井上円了の建学精神に惹かれて哲学科に入学したのは、今から約40年前に遡ります。正に光陰矢の如しです。私の大学生活は、義憤に発した闘争と蹉跌を通して、学内政治の欺瞞性や独善的な党派の人間に失望し、内なる孤独と憂愁に沈痛した日々でありました。しかし、そのネガティヴな青春の在り方が、かえって意味深い貴重な経験であったという逆理を、この年齢になって熟つくづくと思うのであります。そう言えば、作家の坂口安吾も学生時代には『暗い青春』を送っていたようです。安吾は、その自伝的作品の中で「青春ほど、死の翳を負い、死と背中合わせな時期はない。―青春は力の時期であるから、同時に死の激しさと密着している時期なのだ。―私の青春は暗かった。私は死について考えざるを得なかったが、直接死について思うことが、私の青春を暗くしていたのではなかったはずだ。青春自体が死の翳だから。」と書いております。また同文には政治や社会制度について、その絶対性や永遠性をきっぱりと否定して、それらは一時的で無限の訂正を必要とするものであり、むしろ実現されるべきは各人の「自由の確立」であるとし、「自らのみの絶対を信じる政治は自由を裏切るものであり、進化に反逆するものだ。―私にとって必要なのは、政治ではなく、まずみずから自由人たれということであった。」と述べています。わが暗鬱たる青春と重ね合わせながら、大いに共感できる言論であると首肯するものです。安吾が没してはや半世紀以上になりますが、彼のエッセイである『日本文化私観』や『堕落論』『青春論』など未だに評価や人気も高く、良質の読者を獲得し続けていることは欣快に堪えません。安吾のようなユニークな文士を大先輩に持っていることを誇りに思っております。さて私の大学卒業後の行路でありますが、一転して藝術方面に歩を進め、彫刻や書の実作を専らとして個展を開催し、また近年では大学教育において「伝統藝術」や「日本文化論」を講じ、さらに小さな美術館の運営企画を担って「知られざる日本絵画」の紹介に努めるなど、多方面に活動の幅を拡げております。いわゆるマルチ人間の生き方ですが、その根底には学祖円了の教育理念が脈打っているのを実感いたします。井上円了の教育目的は哲学者の養成にあらず、「思想練磨の術」としての哲学を学ぶことにあり、洋の東西を問わず普遍的で根本的な真理を求める態度を修得することでありました。また「日本主義」(言語・宗教・歴史)と「宇宙主義」(哲学)の一を説き、「智德兼全」の人間性を重視、また空論を排して「言行一致」「名実相応」を旨とするなど、いわゆる実践的な活きた学問を志した人物でした。当時(明治32年)の円了の社会的評価が教育・文学・宗教に跨ってあることや、「私塾の精神」でもって「田学」に徹した在野精神など、改めて学祖の独自な識見と事業に敬意と共鳴を覚える次第です。最後に引用するのは、在学中の特別講義(飯島宗享教授『実存的人間論』)で教わった先人の言葉で、爾来私の胸裡に深く刻まれております。 「たとえ明日、世界が滅びるかもしれないとしても、今日、私はリンゴの苗を植えるであろう。」私は、若き日に私・立・東洋大学に学んだことを、この上もない「幸い」とするものです。諸

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