東洋大学校友会報258号
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24TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION ● 258OS都合がつけば現地に応援に行くようにしています。昨年は全日本大学駅伝や地元で開催され東洋大学の選手が参加する犬山ハーフマラソンに応援に行きました。現地で東洋大学の幟旗や小旗を持って応援していると、大学とは関係ない方から、「箱根駅伝のあの東洋大学ですか?」「私も応援したいので、旗をください」などと声を掛けられることが度々あり、嬉しくもあり、誇らしくもあります。改めて山の神・柏原君や酒井監督、駅伝選手等に敬意を表します。ボクシングの村田選手や東都大学野球やその他多くのスポーツ選手の活躍がテレビや新聞に出ると欠かさずチェックし、心の中で1人ガッツポーズしており、今では「東洋」という言葉や文字に敏感になっています。親が子どもの大学の活動に参加することは、あまり無いことだと思いますが、東洋大学は「甫水会」という名前で積極的な活動をしています。最初は、遠く離れた息子のことが心配で、心の拠り所のような感じで甫水会の会合に出席しましたが、大学の細やかな配意に感謝・感激し、妻とともに参加を重ね、今ではこの私が甫水会の支部長になってしまいました。東洋大学は、知れば知るほど素晴らしい大学であると実感しているところで、このような大学に在学中の息子を誇りに思っています。これも偏に大学の歴史を作ってこられた大学関係者はじめ卒業生の方々のおかげだと思います。息子には、校友会のことをしっかりと伝え、これからは彼らがこの伝統ある校友会を受け継ぐよう申し伝えたいと思います。文化財研究会をおぼえていますか?        日野順次      昭47経営法 三多摩40歳前後から60歳代までの白山や朝霞キャンパスで学んだ方で、我が東洋大学文化財研究会の名前を脳裏の片隅にでも記憶されている方は、10人に1人、いや100人のうち2~3人程度でしょうか。しかし、結成から解散までの約30年間に在籍した人の数は500名近くですから、文化系サークルとしてはそれなりであったと自負しています。さて、文化財研究会の結成は、昭和42年でした。大学に結成届を出しに行くと、顧問の先生がいないと受理できないといわれたそうです。発起人は社会学部生でしたが、名称を文化財研究会とするからには、社会学部よりは文学部の先生が良かろうと、競馬好きだった発起人が史学科研究室を見に行くと、部屋の名札に馬の字が付いている教授がおり、「勝ち馬」だからこの先生に頼もうとお尋ねしたら偶然在室されていて、初対面にも関わらず顧問のお願いに快諾していただけたという話です。通常なら話を聞いていただけなくても当然のことですから、開放的で根性の据わった立派な先生に巡り会ったとしか私たちにはいえません。その先生とは、後年文学部長にもなられた船木勝馬教授で、私の年代が役員になった時代も大変お世話になるとともに、多大なご迷惑もお掛けしました。また、船木先生が本学を去られてからは、同じ文学部の清水乞教授に後輩たちはお世話になったそうで、死去されたお二人の先生には、心より感謝しております。そんな行き当たりばったりに近い誕生だったのにも関わらず、悪運?は強く、会員は着実に増えて、3期となる私が入会した頃には短大生を含めた白山の全学部の学生が揃い、会員数も30名を超えてしまいました。活動の主な拠点は、白山の旧2号館地階の学生ホールでした。ここは、本来なら全ての学生に開放されている場所ですが、学生運動が盛んだった私たちの時代には、各サークルが勝手に机やキャビネットを置いて分割占有し始めており、我がサー

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