東洋大学校友会報 No.263
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10TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION ● 26313.5級 行間251行17字×1段29行×4段=1P1972字校友廣瀬 隆人 ひろせ たかひと平成10年東洋大学大学院文学研究科修士課程修了平成12年宇都宮大学助教授平成15年宇都宮大学教授平成27年北海道教育大学教授成八年度に東洋大学大学院文学研究科修士課程教育学専攻(二期生)に入学し、二年間を学ぶことができた。三九になったばかりの歳に入学した。当時は、未だ数少ない夜間と土曜日に講義が行われる社会人のための夜間大学院であった。東京に来て一年も経たない二月の雪の降る日に入試が行われ、無事入学を許可された。憧れていた大学院生になることができた。当時の職場から歩いて三〇分程のところに東洋大学があり、さんさき坂、だんご坂を上り下りしてキャンパスに到着する。私は、生涯学習を主として専攻するため、倉内史郎先生の門を叩き、ゼミ生にしていただいた。先生は、私が一年次にはサバティカルで原則大学院の授業も無く、ゼミも担当しておられなかったが、同門の仲間と四名で、月一回の勉強会とゼミ合宿を半ば強引に開催させていただいた。先生も快くお引き受けくださったのだが、せっかくのサバティカルを結果的には台無しにしたのである。当時は、夜間の授業を終えて自宅に帰ると一〇時を過ぎていた。それでも大学院で学びたかった。倉内先生のゼミは二年次に本格的に始まり、熱心にご指導をいただいた。成人教育の基礎的な文献を丁寧に読むことができた。この他に、神田道子先生のゼミにも出席していたが、とにかく看護職の女性が多いゼミで、男女共同参画を中心とした論文の講読を行っていた。時には男性が私一人になる日もあり、マイノリティとしての不安と寂寥感を味わうというやや貴重な体験をした。いずれのゼミも得たものは一つであった。「自分は何もわかっちゃいなかった」ということである。私は当時、国の研修機関に勤めていて、社会教育や成人教育については、わかっていることとして仕事を進めてきた。しかし、大学院での学びはその根底を覆し、何もわかっちゃいない自分に気づかされたのである。これはなかなか辛いことであった。四〇歳にして、自分を肯定できないからである。 同時に私たちは、働きながら学んでいることに誇りを持ちつつも、働いていることに甘えていたところもあり、自己中心的などうにも手の付けられない社会人大学院生でもあった。当時の夜間大学院は、私たちが二期生だったこともあり、大学もどのように対応して良いのかわからず、戸惑いもありやや混乱していたようである。ようやく大学院が、働く社会人に門戸を開きはじめた頃のことである。多少の混乱は、仕方のないことであった。かなり遠方から通学していた方もいて、学ぶことの強いニーズがあり、その思いが時として講義を担当する教員にやや挑戦的な質問に及ぶ社会人大学院生もいて、講義は一定の緊張感があったことを記憶している。私も相当に生意気な大学院生の一人だった。汗顔の至りである。その後、私は大学教員となり、社会人を受け入れる大学院を担当したときに、そのことを痛感させられたのである。謙虚に学ぼうとする気持ちと、自己肯定感を喪失しつつある学びの中で、社会人大学院生は混沌と混乱、不安定さと心の揺らぎの中で自己を再構築しようともがいていたのだろうか。その頃は、大学に転出した同級生も多かった。修士論文を書き終えて提出したときに思ったことは「これじゃだめだ。もっと学ばなければならない」ということであった。二年間と授業料を費やして、わかったことである。私にとってはかけがえのない大きな収穫であった。平社会人大学院のこと

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