東洋大学校友会報 No.263
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8TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION ● 263OSジ、ヘアカット、音楽ライブ等、2年間で600回以上のイベントを行って、避難民の方々に癒しを届け、力を与えたとの報告は、素晴らしいの一言でした。6号館地下1階は、これまでテレビや新聞で紹介されている1300席のフードコードスタイルの学生食堂。テーブルの上にOB会用の立札が用意してあり、大変混雑していました。食堂は7店舗中3店舗のみの営業で、ワンコインで、ビビンバを注文して美味しくいただきました。125周年記念館にも600席の学生食堂があり、並んでいた卒業生の方に、「今の学生さんは、立派な食堂が2か所あり、羨ましいですね」と言ったら、同感との返事がありました。午後からは、井上円了ホールでチアリーディングサークル「ミニーズ」の演舞を見ました。ステージも広く部員も多いので、迫力があり感動しました。甫水の森「箱根駅伝優勝讃歌」碑前で偶然出会った卒業生は、作詞者の郡山直氏は高校時代の教師であり感慨深いとのこと。本学の英文科で教えておられた49年前の先生を懐かしく思い出しました。今回は、昨年と違い、卒業生に対しての配慮が随所に見られました。教室貸出団体も19もあって、大変よかったと思います。次回は、どういうテーマで実施するのか、今から期待しています。第12回国文学科「三八会」 市ヶ谷・都田川にて開く名古屋茂郎昭38国文 千葉「三八会」の皆さん、お元気ですか。平成26年も11月15日(土)に市ヶ谷「都田川」に十余名が集合した。楽しい時間を共有できたことを感謝している。もう12回、それともやっと12回か。思えば、今は亡き服部君、山辺君から「クラス会やらないか」と声がかかったのが、卒業して18年が過ぎたころだった。それで卒業アルバムの住所と在学中住所録をもとに調べてみると、大半の仲間は当時の帰省地には居らず、中には帰省地に家族すらいないという人が何人も出てくる始末。だから、整理がつくまでに長時間を要した。アルバムには87名が載っているが、昭和57年には71名の消息を把握できた。しかし、その時点ですでに亡くなっていた仲間が何人かいたのにはショックだった。行方不明者が十余人いたことにも驚いた。現在消息が分かるのは、48名となったが…。昭和38年卒業以来20年目の夏、初めて「三八会」を東京青山会館(現・ホテルフロラシオン青山)で開催した時は、33名もの仲間が集まった。その時、3年ごとに東京でということになり、白山の母校前の校友会館・池袋・上野の精養軒・有楽町・市ヶ谷と開催してきた。古稀を迎えた時から毎年の開催となり、時には3名しか集まらなかったこともある。また、開催できなかった時もあったが、紆余曲折を経て、12回目を迎えた。我々が教わった先生方の大半は他界された。私の知る範囲でご健在の方は、当時の職名で「国語表現法」の芳賀講師(後東京工業大学教授)、「国文法・国語史・国語学史」の小林助教授(後広島大学教授・恩賜賞受賞)、「徒然草・近代文学評論史・近代文学史」の広島助教授(後教授)、「教職特講」の神作助手から講師(後教授・学長)、橘助手から講師(後教授)、大久保助手(後東洋大学附属姫路高等学校野球部部長・教頭)である。懐かしい若かりし先生方の顔が浮かぶ。僕たちはもっと若かったしね。校友会から入手した「東洋大学」の旗の下で、旧交を温めた。会えばすぐに学生時代に遡ることができるのが何より。学生時代の苦楽の話や、短い時間でも神宮に野球応援に出かけ声の限り応援した話など、尽きることのない想い出を披露しながらのひと時だった。出席できなかった仲間の皆さん、来年からは5月の最後の土曜日に開催日が変更になります。したがって、27年度は5月30日(土)となります。日程だけは空けておいてください。また会えることを楽しみに。「地方風物詩研究会」と 「古典音楽研究会」の思い出澤田繁雄昭52哲学 千葉卒業して40年余になる私は、今年5月で63歳になります。7年前に脳梗塞を患い、今は闘病生活の日々送ってい

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