東洋大学校友会報 No.267
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14TOYO UNIVERSITY ALUMNI ASSOCIATION ● 267校友金子 俊二 かねこ しゅんじ校友東田 孝三 ひがしだ こうぞう昭和41年工学部建築学科卒業57年福井県商工会青年部連合会長就任平成 2年福井県法人会青年部連合会長就任6年森田商工会長就任21年校友会福井県支部長就任卒業後半世紀を振り返って年、正月を迎えますと、日本中の校友が箱根駅伝で元気をもらい、新しいスタートを切っていることと思います。東都大学野球は、2012年秋以来7季ぶり一部に復帰し、地方新聞でも記事となり嬉しく思います。国技大相撲も御嶽海の素晴らしい活躍で、地方人はまた楽しみが一つ増えました。私は、昭和41年3月卒業後に福井に戻り、㈱品川建築事務所に勤務し、43年8月に退社しました。短期間の勤めでしたが、建設業の社会での役割とか、建築に関わる行政の仕組みや設計事務所のシステム等、多くのことを学び、建築に携わる方々と知り合うことができて、大変有意義な時間を過ごすことができました。その後、私は東田建設株式会社を設立し、現在に至っております。設立当初、地域密着性の高い仕事内容で、地域の皆さま方と関わりを持ちたいという思いから、自分も地域の皆さまに何か還元したいと考えるようになり、商工会に加入しました。その時、商工会には青年部がなく、早速、青年部を創設し5年間青年部長を、その後、福井県商工会青年部連合会長、福井市商工会青年部連絡協議会長、全国商工会青年部連合会理事等を歴任し活動していたところ、名誉ある森田商工会長に推挙されました。歴代の会長さんを見てみますと、夢の役職でした。商工会長に推挙された当時、県下38商工会で一番の若僧でした。先輩会長から、商売上の大変貴重な経験や、失敗談等をたくさん伺い、勉強させてもらう中、商工会連合会では人事管理委員会に所属し、県下商工会の職員採用の面接・試験等も経験し、先進地の視察研修や交流事業、新商品の開発等にも携わりました。全国商工会大会では、数年にわたり所管の大臣や総理から直接、現状の動きの方向性を聞く情報は、大変役に立ちました。地域の青少年の健全育成にも携わるようになり、福井市青少年育成会連合会長に就任すると、市役所内各種団体に委員として多くの役職を体験し、活動する団体の中でさまざまな経験、体験、人脈ができ成長することができました。法人会は「健全な納税者の団体」として幅広い事業を活発にしており、各委員会、青年部、女性部、研修会等も充実していていろいろなことを吸収できました。また、異業種交流等多くの活動をする中、企業は地域に貢献することが一番大事なことも学びました。お陰様で諸団体の活動で表彰状は大臣、中小企業長官、知事、市長、税務署長等より29回、感謝状は大臣、知事、警察署長等より25回授与されました。また、私は旅行が趣味で、海外旅行は85回(うち妻と54回)で64カ国を旅し、国内は北(礼文島)から南(石垣島)まで47都道府県を旅しました。特に、伝統あるお祭り(阿波踊り東洋大学連)は、最高で感動しました。設立した我社は、自分としての役目を終えたので、3年後をメドに一代で閉じます。東洋大学校友会支部長会の白山キャンパスでの開催時には、同期の城西支部長の飯吉氏とお会いし、お酒を酌み交わして交流しています。先般、川越の工学部(現・理工学部)を訪問しましたが、卒業した当時の面影はほとんどなく、鶴ヶ島駅周辺等構内に入った時は、時代の流れを感じました。また、校友会支部長に就任して、卒業後44年ぶりに白山のキャンパスを訪問し、正面のアプローチと近代建築の校舎を見た時と、在学生数を聞いた時には驚きました。昭和37年に工学部建築学科に一期生として入学し、卒業時の第2回卒業研究発表会(建築としては1回目)に卒業設計(福井県庁舎)が選ばれたことを誇りに思い、また第1回工学祭のラリー参加賞の盾が小さいけれど手元で輝いています。白山キャンパスは、4年次に教員免許取得のため夕方のみ通学しました。卒業後半世紀を振り返ってみますと、東洋大学工学部建築学科に学んだことに満足した50年でした。今後も、ますますの理工学部、東洋大学のご発展をお祈り申し上げます。近

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