東洋大学校友会報『哲碧』No.276
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Interaction of peopleキラリ交流ネットTEPPEKI10Interaction of peopleキラリ交流ネット園生活を送っていた。都電曙町停留所で下車し、進んだ先の急な階段を上がると右に図書館、左側は大講堂。奥に古びた鉄筋と比較的新しい、それに木造の3棟の校舎があった。我々が入学した昭和31年に「四聖像」のリレーフで象徴される5号館が建立された。戦後10年、日本は復興から発展への道を歩んでいた時代。皇太子様と美智子様のご慶事を国民の多くが祝福した。東京タワーがニョキと天高く聳え立った、首都東京の姿はそれを物語る。街頭では労働運動や学生運動が盛んに行われるようになり、60年安保騒動へ。そのような喧騒の社会状況のなか、我校に昭和34年4月に社会学部が設置される。我々は文学部から社会学部社会学科に移籍し、第一期生として古里へ戻り、新生日本建設の歯車として活躍の場を求めた。昭和39年の東京オリンピックを契機に日本経済は一段と成長、金の卵と言われた若者達が地方から大都会へ、日本の高度経済成長を支える礎となり、我々もその一翼を担った。一方、四大公害・エネルギー革命等の社会問題も発生した。何時の間にか定年を迎え、ふと気付いた時、今日ある若き日に思いを馳せ、学友達との集いを持った。平成5年、校友会館で第1回の同期会、その後箱根・上野で各2回と会を重ねる。素晴らしく環境の整った母校を訪問したり、学生時代には出来なかった東京観光をして、旧交を深めると共に互いの健康を祈念し、2020年6月の再会を楽しみに我が塒ねぐらへ。早くも7年半前の出来事になりました。東日本大震災それによって起った東京電力福島第一原発事故は、日本各地の原発地域住民の皆さんに大きな衝撃と恐怖を与えた事と思います。当、私はその事故に遭遇し、今なお生まれ古里を離れて避難生活を続けています。この事で校友会からお見舞金を頂き、恐縮と感謝の思いでいっぱいです。その古里の報道も新聞等ではすっかり薄れてしまいましたが、爆発した原子炉の廃炉には半世紀の時間を要すると言われています。また、汚染物質の処理等の見通しのたたない難題が山積の状況です。戦後70年、広島・長崎の原爆被害者の皆さんの苦しみ、沖縄の戦後はまだまだ続いている状態。自然災害であれ、人災であれ、人命を大事に、全ての人に陽の当たる社会を白亜の殿堂で学ぶ若人に期待して結びとします。大分県支部『別府・大分毎日マラソン大会記念碑』の清掃活動江藤英俊1976(昭51) 経営学部「第68回別府・大分毎日マラソン」(通称別大マラソン)が2月3日に開催されました。今では市民マラソンとして3000名近くの選手が参加し、大分の名物となっています。「別大マラソン」は、東洋大学出身の池中康雄先輩が創設したマラソン大会で、第60回大会を記念して大分市営陸上競技場前に記念碑を建立しました。毎年出場した県内選手のうち、1番になった選手には「池中杯」が贈られています。大会の一週間前、大分県支部(堤紘一支部長)の校友が集まり、この記念碑の清掃活動を行っています。今年は12名の参加で、清掃終了後には場所を変え、新年会を兼ね箱根駅伝残念会、いやいや3位入賞と往路優勝を喜びあいました。「来年こそ優勝を!」と祈念し大学歌を斉唱し散会しました。(大分県支部事務局長)

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