東洋大学校友会報『哲碧』 vol.278
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哲学堂公園と井上円了哲学堂公園と井上円了その6TEPPEKI15三円了の巡講は、5400回講演し、聴衆およそ1400000人にのぼる 井上円了の巡講は、特に第三回目からは旅から旅への連続であり、席の温まる暇もなく旅から旅への連続でした。同じようなほかの「修身協会」では、寺を教会として頼りにとしましたが、成功はしませんでした。しかし、円了が顔を出すと同じ話題でも大勢の公衆(民衆)が集まり、興味をもって聞き取ったといわれています。 そこには、視学官が案内役となり、青年団、婦人会、仏教団体などの団体が動き、市や郡の有力者や多種多彩な聴衆が1、000人ほどは集まりました。講演の内容で最も多いのは、「詔勅・修身」であり、次に「妖怪・迷信」「哲学・宗教」「教育」と続いていました。 会場においては、一回2話を話すこともあり、「妖怪先生」と親しまれた円了は当意即妙な話をしていました。午前中に移動し、午後にはまた講演、その後には有志の求めに応じて揮毫していました。身体を酷使し、都合で野宿に近い泊りもあり、杖一本で峠を越えたりしているときもありました。それというのも、円了は旅のルートを直線にとる傾向があり、最初の講演地の幹事役に当地の開催準備を頼むと共に、必ず次の講演地を指定して、開催準備を申し送る手はずを取っていたので、ハードスケジュールになっていました。 このことは、朝鮮半島でも台湾でも中国でも同じでした。大正8年、最後の中国の旅は、まず、長江沿いに武漢まで辿り、そこから列車で北上、ついに大連に到着したのですが、6月5日夜、到着してすぐに講演に入り、15分ほどして倒れ、6月6日の未明に逝去されました。享年62歳。 円了の巡行記録は、「明治39年から大正8年までの14年間に全国60都市、2198町村を巡り、およそ3000か所の会場で、5400回講演し、聴衆およそ1400000人にのぼる」とあります。哲学の講話や講習を開くための宇宙館、皇国殿も設置 大正2年には、第72スポットである宇宙の真理を研究する学問であることに鑑み、哲学の講話や講習を開くための宇宙館を設立。同時に哲学は社会国家の原理をも研究する学問なので、世界万国のなかで最も美しい皇国殿をつくる必要があると考え、宇宙館内に一室を設けました。  館前の柱に、「宇宙万類中人類為最美(世界万国の中、人類が最も美しい)と「世界万国内皇国為最美(世界万国の中、皇国が最も美しい)」の両聯(りょうれん)を掛けています。 この建物は、四角の室の中に、さらに傾斜する一室を入れていて、世界に類のない構造となっています。中央には、聖徳太子像が昭和15年から安置させています。また、その棟上には鳥帽子を載せて、皇国殿であることを示しています。

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