東洋大学校友会報『哲碧』 vol.278
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TEPPEKI202019年度「東洋大学校友会寄付講座・秋学期」の11月30日に、前校友会長の羽島知之さんが登壇、「新聞と私・新聞収集研究70年」の演題で90分の授業を行った。開口一番、「本日の私のテーマは新聞です。この会場で受講される学生のみなさんは“新聞は買わない、読まない、信頼しない”世代の方々です。」と羽島さん。確かに新聞媒体はここ10年以上前から購読者や広告の出稿量ともに激減、地方紙の多くは朝夕セットから夕刊が消え、メディアが多様化している今日、存続の危機に立たされているのが現状である。そんな新聞に恋い焦がれての新聞研究70年を、以下のテーマで講義した。①NIEの先駆者大村はま先生との出会い 中学時代国語の単元授業で新聞に開眼、新聞題字集めから新聞原紙・新聞資料の収集へ②東洋大学で新聞学の権威小野秀雄先生と出会う入学と同時に「東洋大学新聞」を発行していた、東洋大学新聞学会に入会。新聞の編集に携わる。(東洋大学新聞の歩み)入学したのは経済学部なのに小野秀雄先生の新聞学を受講(小野先生の紹介)「歴史は資料次第である。確実な資料が出てくると、基礎薄弱な研究はたちまちだめになる」という先生の教えに触発されて、ますます収集研究に熱が入る。③日本学生報道連盟(SIF)の通信員になり、のちに東京総局を開設、旬刊「学園通信」を大阪から東京発行に移行。SIFは全国の大学新聞にニュースサービスを行う学生共同通信機構で旬刊「学園通信」の発行や、民放ラジオ局に自主制作番組をオンエアーさせたりした全国的組織。④大学4年生の年に、新聞収集10周年を迎え、集めた新聞関係資料の目録『羽島コレクション』を発行⑤新聞のコレクションが縁で広告会社に就職学生時代に古書の即売会で三栄広告社の西垣社長から「君も古い新聞を集めているのか」と声を掛けられ意気投合、同社内に日本新聞資料協会を設立。月刊『新聞資料』を発行、大学卒業と同時に入社する。⑥新聞資料ライブラリーの開設と活用新聞、出版、放送会社をはじめ、多くの研究者を対象にわが家に開設。このライブラリーが『全国特殊コレクション要覧』(国立国会図書館参考書誌部編 出版ニュース社刊1977)、『全国図書館案内・上巻』(三一書房刊、1979)『類縁機関名簿』(都立中央図書館編刊1995)などに掲載されているため、新聞資料探求の照会が相次ぎ、利用希望者は年間100件を超し、うれしい悲鳴をあげる。所蔵資料も増える一方で個人所蔵の限界を感じ、ラジオ・テレビ出演や新聞雑誌の取材など機会あるごとに公的な「新聞資料館」の設立を提唱。⑦半世紀をかけたコレクションが日本新聞博物館へ日本新聞協会の新聞博物館構想が具体化し、資料提供の協力要請がくる。大切な娘を名門の家に嫁入りさせる親のような気持ちで、うれしさ半分、寂しさ半分が本音。2000年10月、新聞のことなら何でもわかる「日本新聞博物館」(ニュースパーク)が誕生。全国各地に誕生した新聞博物館にも資料を寄贈。⑧新聞事始―新聞誕生と草創期の新聞事情わが国最初の邦字新聞、文久2(1862)年の『官板・バタヒヤ新聞』から明治3年日刊紙『横浜毎日新聞』誕生まで。⑨劇的な資料発掘エピソードの数々わが国最初の日刊紙『横浜毎日新聞』やジョセフ彦の『新聞誌』の発掘で、永年の発刊年論争が決着。★本講座は公式な授業のため、大学が学生にミニレポートを提出させている。80通ほどのミニレポートに寄せられた声は以下のとおり。「新聞を読むようにしたい」「日本新聞博物館に行ってみたい」「幕末・明治時代の新聞が回され、手にとって見られたのが感激でした」「羽島先生が新聞博物館において、21世紀に脈打つ10万点のコレクションを提供されておられ、とても偉大な方だと感じました」「令和決定の翌日、4月2日にゴゴスマに生出演されたのがとてもすごいと感じました」「今日羽島先生の講義を聞いて、半世紀かけて地道に集めたものが今こうやって輝かしい功績になっていることを知り、自分も何か熱中できるものを探そうと思った」「中学生のころに出会った教師の教えが一人の人生を決めたのに驚いた」ほか。【プロフィール】羽島 知之(はじま ともゆき)1935(昭和10)東京生れ。1960年東洋大学経済学部卒業、三栄広告社ラジオ・テレビ部、取締役、日本新聞博物館特別専門委員、東洋大学評議員・理事、校友会長など歴任。現在、都立駒場高校学校運営連絡協議会委員、東洋文化新聞研究所代表。

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