東洋大学校友会報『哲碧』 vol.278
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TEPPEKI8STAR OF TOYO東洋大学のスターたち東洋大学のスターたち東洋大学のスターたち第1回★★連載企画★★★★★★★ようになり、いつしかこの巨大な石に父の姿を重ね合わせて見るようになっていた。 「ふるさと」とは生まれ育った所を離れてはじめて成立する。私の場合、群馬県の桐生で生まれ二歳で父を亡くすまでそこで育ち、父が亡くなってからは東京で暮らした。 従って私が新潟を「ふるさと」と呼ぶのは正しくない、にもかかわらず私にとって一ふるさと」と呼べる所は新潟以外に考えられないのである。 何故ここが私の「ふるさと」であるか、些か強引な理由付けをするなら、父から受け継いだ本籍地が新潟県新津市であり、そのまま私もこの本籍地を引き継いでいると言うことだろうか。 しかし、この本籍も父の生まれ育った場所でなく、祖父の代の住所らしい。父が何故亡くなるまで新津を本籍地にしていたか真意の程は解らない。これを父が「ふるさと」に郷愁をもってあえて本籍地を変えなかったと見るのは、どうもこじつけすぎのような気もする。 私の場合は、住まいが変わる度「此処に何年住むか分からない」そんな思いで、そのままにしてしまってきたと言うのが実状である。実際にはどこを本籍地にしてもかまわなかった。父もこんな気持ちで本籍を移さずにいたのかも知れない。 しかし、受け継ぐなどと大仰に構えることもない本籍地であるが、気が付くと自分と父を結ぶ数少ない絆になっていた。 それにしても「ふるさと」とは不思議なニュアンスを秘めた言葉である。類語に郷里とか故郷と言うのがある。こちらはある程度の具体性をもつが、ふるさとという言葉には生まれ育った所と言う他にルーツと言った自分の根底に流れる起源を指すような言葉にも思われる。 本籍地と「ふるさと」…海からの風に吹かれ安否碑を見ながらそんなことを思う。坂口 綱男写真家/日本写真家協会会員「安吾 風の館」館長1953年8月6日、群馬県桐生市において、坂口安吾と三千代の長男として生まれる。1978年より、フリーのカメラマンとして、コマーシャルフォト、ポートレートなどの分野で活動。写真分野で執筆、講演など行うとともに、母・三千代の没後は、父・安吾に関する執筆も行っている。1995年、心象風景の写真集『Le temps arrete』を発表、同時に文芸誌に長編エッセイなどを連載するようになる。坂口安吾まつりin松之山毎年5月の第3土曜日に、大棟山美術博物館にて『坂口安吾まつりin松之山』を開催しております。大棟美術博物館は、安吾が度々訪れていたゆかりの地です。朗読会や、坂口綱雄さん(安吾のご長男)のお話、懇親会など、安吾の魅力に触れるイベントとなっております。なお、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、今回は開催を中止することといたしました。【お問合せ】松之山安吾の会:080-8498-6555お知らせ

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