東洋大学校友会報『哲碧』 No.280
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『日本仏教史(お大師様に感謝して)』内田正子著(1967 文学部仏教学科卒)2020年10月『雪松という女』三浦佐久子著(1959 短期大学部卒)龍書房 2020年9月『映画は変わった』西川昭幸著(1964 社会学部応用社会学科卒)ごま書房新社 2021年4月 哲学堂公園第7スポットである髑髏庵は︑肉体上の死ではなく︑精神上の死を表したものです︒世間の俗塵にまみれた心を︑ここで消滅させ︑骸骨を持って俗人の心の死を表しています︒かつては︑受付・休息所にあてられていました︒ 第8スポットである復活廊は︑髑髏庵から鬼神窟へ向かう小廊下のことです︒髑髏庵において日常的な精神は死んでいるので︑その心を蘇生して︑新たな哲学的心眼を開くための場所です︒ 第9スポットは︑復活廊とつながっ 精神上の死を表した髑髏庵「哲学は人生を向上するの学なり」 今の東洋大学のスローガンとなっている﹁諸学の基礎は哲学にあり﹂という円了の言葉はあまりにも有名ですが︑学祖井上円了が生涯にわたって追及し︑普及につとめた“哲学”とは何だったのでしょうか︒ ﹁哲学は︑向上︵宇宙の真理に向かって精進する方面︶を方便︵仏教でいう方便は真実にいたる正しい手段・方法・道︶とし︑向下︵世間の実際に向かって応用する方面︶を目的とするというときは︑向下に基づいて哲学全体の定義を下す必要を起こす︒﹃哲学は人生を円満にする学なり﹄といいたいと思う︒ただし︑円満の文字は活動の意を示さざれば︑余の活哲学の定義として不十分かと思う︒よって︑﹃哲学は実際上人生を向上するの学なり﹄と定めたい﹂ これを端的に言えば︑哲学は真理性のみの追求ではなく︑人間社会に作用してこそ意味を持つということであると思われます︒ている鬼神窟です︒来館者の精神は︑すでに俗界を離れ︑霊的になっているので︑人の目では接しえない霊魂と神霊の世界にいることを表しています︒ 鬼神窟の一階の部屋は︑第10スポットである接神室で︑天地の心霊に接していることを表しています︒ 鬼神窟の楼上は︑第11スポットの霊明閣で︑特別の客を歓迎する迎賓室のことを表しています︒『正岡子規研究』根本文子著(2011 大学院文学研究科修了)笠間書院 2021年3月『「共助」をめぐる伝統と創造』松本誠一編(1979 大学院社会学研究科修了)岩田書院 2021年3月

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