母校支援

大手食品メーカー人事トップの原点は「崩壊寸前のテニスサークル」にあった!?

1990年に経営学部経営学科を卒業した人見です。現在はカルビー株式会社にて、執行役員 CHRO(最高人事責任者)兼 人事・総務本部長を務めています。カルビーは、創業100年を超えてなお成長し続ける企業を目指し、変革に取り組んでいます。

私は、経営と従業員の橋渡し役として、組織・人事の側面から企業変革を推進する立場にあります。そのため、従業員との直接対話を何より大切にし、日本国内はもとより海外拠点にも足を運びながら、日々現場と向き合っています。

新卒で入社した専門商社S社で10年半、その後、メーカーK社で16年、メーカー・商社M社で2年勤務し、現在はカルビーで7年目になります。職種としては人事の経験が最も長く30年に及びますが、そのほかにも与信管理を2年、営業を3年、広報を2年経験してきました。

こうして自分のキャリアを振り返ると、学生時代から社会人に至るまでの経験は、すべてどこかでつながっていると感じます。少し長くなりますので、今回はまず「学生編」として、大学時代の経験についてお話ししたいと思います。

大学3年時の夏合宿にて。中央で下を見ているのが筆者。

ギリギリ間に合って入部したレスマ。のちのキャリアに影響を与えた

 私は高校時代、どちらかといえば漫然と過ごしてしまい、本格的に受験勉強を始めたのは受験シーズンも間近の秋になってからでした。受験すると決めてからは、寝る間も惜しんで勉強し、何とか東洋大学に入学することができました。

在学中は、正直なところ、母校への思いを強く意識していたわけではありません。しかし卒業後、年を重ねるにつれてその思いは少しずつ強くなり、今では東洋大学の卒業生であることを誇りに感じ、さまざまな場面で公言しています。

2009年の第85回箱根駅伝で東洋大学が初の総合優勝を果たした際には、1月3日に開催された祝勝会に参加し、柏原選手や双子の大西選手らに直接お祝いを伝えることができたのも、私にとって忘れられない思い出の一つです。

大学時代の中心にあったのは、「レモンスマッシュ(以下、レスマ)」というテニスサークルでの活動でした。そこで出会った仲間たちは、在学中はもちろん、卒業後もさまざまな場面で私を支えてくれました。崩壊しかけていたサークルを、同期や後輩たちと力を合わせて立て直した経験は、今の私の組織マネジメントの原点になっています。

アルバイトにもかなり力を入れており、学業にはそれほど熱心だったとは言えませんが、唯一自分なりに一生懸命取り組んだ簿記の勉強は、就職後の配属やその後のキャリアにも影響を与えました。高校までは、自転車で行ける範囲が自分の世界のすべてでしたが、大学でのサークル活動やアルバイトを通じて、その世界は一気に広がりました。

さまざまな経験を重ねる中で、社会で必要なことを一つひとつ身につけていったように思います。大学時代の学びと仲間との絆は、今もなお私を支える大切な土台です。

ここからは、そんなレスマとの出会いと思い出について、少し振り返ってみたいと思います。

レスマとM越君との出会い

 私は高校時代にサッカー部を途中退部したことを後悔していたので大学では体育会サッカー部に入ろうと思いましたが、練習を見てレベルの高さに驚き断念。その頃、同じ高校を卒業したS木君・H川君と北朝霞駅で偶然出会い、スマッシュというテニスサークルに入ると言うので私も付いていきましたが、募集締切で断られてしまいました。 残念な気持ちになっていたところ、「レスマはまだ募集している」と聞き、慌てて駆け付けギリギリで入部することができました。その後、水道橋で行われた新入生歓迎コンパでM越君と出会います。M越君と後に卒業までダブルスでペアを組むことになります。

このM越君、他人のことを決して悪く言わず上級生にも下級生にも好かれる人間性で、私は大きな影響を受けました。新入生歓迎コンパで私たち1年男子は上級生から一発芸を命じられ、M越君とはその順番待ちの時に初めて言葉を交わしました。

夏休みのテニス合宿で、私はM越君と同じ中級クラスに振り分けられました。中級クラスの同期には、上級生と打ち合える腕前のH川君やK泉君もいました。夏合宿が終わると秋の大会(連盟加入テニスサークルのトーナメント)出場に向けダブルスを組むことになりました。 二人で初めて出場した秋の大会で、私たちは1回戦で4年生のペアと対戦しました。公式戦は初めてで、二人とも最初はガチガチでしたが、あと1セット落としたら敗戦というところから粘り、4ゲーム連取して逆転勝ちを収めたものの、2回戦はあっけなく敗退。

2年生以降の大会では、私が後ろでしつこくラリーを続けながらM越君が前に出てボレーを決める戦術を磨き上げ、4年春の大会では外シード(13シード)に選ばれました。

さぼってばかりの自分がまさかの会長に・・・

 思いがけない出来事から、リーダータイプではない私がレスマの会長に就任することになりました。

レスマでは、毎年秋に3年生が幹部を退き、2年生が総会で新幹部案を提案し、承認を得て代替わりする仕組みでした。私たちも総会前に話し合って新幹部案をまとめましたが、私はその中で、最も楽だろうと思えた副会長に手を挙げました。

当時のレスマはまとまりを欠き、1年生が大量に辞めかねない崩壊寸前の状態にありました。秋の総会には約50名が出席していましたが、上級生と下級生の間には壁があり、どこか異様な空気が流れていたのを覚えています。

私たちは教室の壇上に立ち、会長候補だったK泉君が新体制を説明して承認を求めました。しかし、上級生からは猛反対を受けました。私たち同期は、上級生に対して生意気だと思われていたこともあり、どんな提案をしても受け入れられにくい立場だったのです。

2週間後の総会でも同じ案を再提案しましたが、やはり承認は得られませんでした。そして上級生から、「会長は1年生に選んでもらう」と告げられました。約20人の1年生が教室の隅に集まり、「次の会長」について話し合っている時間は、実際には5分ほどだったのでしょうが、私にはとても長く感じられました。

やがて議論が終わり、上級生が「誰を会長にするか決まったか」と尋ねると、返ってきたのは「人見さんがいいです」という答えでした。私は内心、「えっ、自分が? テニスだってそれほどうまくないのに無理だ」と大いに戸惑いました。

それでも壇上で少し考えた末、会長に立候補していたK泉君に、「K泉が副会長をやってくれるなら、会長を引き受ける」と伝えました。すると彼は、真剣な眼差しでこう言ってくれました。

「今までのお前は、練習にも来ない、コート取りにも来ないで、さぼってばかりだった。そんなことでトップが務まるはずがない。お前は心を入れ替えられるのか。お前が本気で頑張るなら、俺は副会長を引き受ける。お前と一緒に頑張る」

その言葉に背中を押され、K泉君を副会長とする形で、その他の体制は私たちの提案どおり進めることを上級生に認めてもらい、私は第8代会長に就任しました。

もし自分がK泉君の立場だったら、サークルを辞めていたかもしれません。自分がリーダーになれなくても、組織のために力を尽くしてくれた彼のことを、私は今でも心から尊敬しています。大きな組織のトップを務めた経験などなかった私に会長が務まるのか、不安はありましたが、腹をくくるしかありませんでした。

当時はスキーブーム。週末はスキー場へ。レスマ同期とともに。

「リーダーとは」を学ばせてもらった一年間

崩壊寸前だったレスマも、会長就任後は後輩たちと一体となって立て直していきました。新学期になると、私たち新3年生と新2年生は朝霞・白山の各校舎で新入生勧誘に力を入れ、最終的には80人規模の大きなサークルへと成長しました。

私は、同期がそれぞれの役割をしっかり果たせば、サークルはうまく運営できると考えていました。実際、テニスの実力、人当たりの良さ、几帳面さなど、それぞれの個性と役職がうまくかみ合っていたのです。

大学祭、合宿、他サークルとの対抗戦、春・秋の大会といった大きなイベントでは、私は常に全体を見渡すことを意識していました。仲間からの声援が力になることを自分自身が実感していたので、レスマの選手が離れた複数のコートで同時に試合をする春・秋の大会では、どの試合にも応援のメンバーを配置しました。今振り返ると、これは「信じて任せること」「全体を俯瞰すること」を学ぶ訓練だったように思います。

一方で、「リーダーは中心にいて、どっしり構えていなければならない」ということも学びました。ある日、レスマがよく利用していた池袋ロサ会館でサークル全体の打ち上げが終わり、「もう1軒行こう」という流れになったことがありました。私は、参加者がエレベーターを降り終わる前に次の店を探しておこうと走り出そうとしたのですが、そのとき同期のS木君にこう言われました。

「人見は大将なんだから、動き回るんじゃなくて指示を出さないといけない。大将がうろうろ動き回ったら、みんなが混乱する。」

普段は穏やかなS木君のその言葉は、強く胸に刺さりました。S木君は、耳の痛いことも率直に言ってくれる大切な友人です。流行にも敏感で、私は彼からいつも刺激を受け、いろいろな面で影響を受けていたように思います。

いまだに続くかけがえのない仲間達との縁

H川君とは、近所のファミリーレストランで夜遅くまでさまざまな話をし、高校時代にはできなかった「夜更かし」を楽しみました。私が最初に買ったラケットはH川君と同じロシニョールでした。また、一学年下のM月君には、私が大阪で営業の仕事をしていた頃、営業職の先輩としてさまざまなアドバイスをもらいました。

母校愛がとても強いH君には、管理職としての悩みや迷いを聞いてもらったり、今後のキャリアについて相談に乗ってもらったりしています。H君とは、東洋大学体育会各部の活躍を話題に、いつも大いに盛り上がります。

レスマの仲間たちとは、今でも集まって昔話に花を咲かせています。彼らとの縁は、私にとって何ものにも代えがたい宝物です。

後編(社会人偏)へ続く
※近日公開

1990年
経営学部経営学科卒
人見 泰正

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