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アナ研の思い出と新講座開設への願い

板橋分会 武田 肇(S50・社会)

 私は、昭和50年に社会学部を卒業し、当時のラジオ関東(現在のラジオ日本)にアナウンサーとして入社しました。以後、45年放送の仕事に携わっています。

大学ではアナウンス研究会(アナ研)に所属し、4年間毎日練習を続けていました。そのアナ研が誕生したのは、前の東京オリンピックの前年1963年のことです。当時、放送研究会のアナウンス部門に所属していた4人の先輩が脱退してアナウンス専門研究会をスタートさせました。

創設当時の先輩からお話を伺うと、広く浅く練習するのではなく、アナウンスメントを極める厳しいサークルであるということを打ち出したかったからと言うことで、「やる気のある奴、来い!但し、試験有り」との会員募集のポスターで集まり試験の末、新たに入会した3人を加えて本格的な活動が始まったそうです。

私は在学中4年間、ずーっと白山校舎で過ごせましたので、毎年「白山祭」に参加し、ニュースは勿論、放送劇、朗読、DJ、ワイドショー、ドキュメンタリーなどの番組を作り、4日間10時から17時まで生放送で披露しました。そのような活動と日々の練習でアナウンス力は向上し、アナウンサーとして放送局に入社する者も数多く排出しました。

さて、東洋大学アナウンス研究会は2020年に56年の歴史を数えます。現在のアナ研は、唯一の放送系サークルということもあり、以前の放送研究会のような形態になってしまいました。アナウンス練習もままならず、アナウンサーも平成の時代には数名だけとなりました。昭和時代には25名以上のアナウンサーを出しましたが寂しい限りです。

キャンパスが白山と朝霞台とに分かれ、上級生と下級生が一緒に活動することが難しくなってきたのと、練習の場所として使っていた旧6号館地下スタジオが無くなったことが大きな原因となりました。

このスタジオは、以前社会学部が行っていたFM放送の研究の場として設けられたようで、私が入学した昭和46年当時は殆ど使われておらず、管財部の管理だったものを当時のテレビ放送研究会とアナ研が使わせて頂いていました。ここでは、朝から夜までいつ行ってもアナウンス練習が出来ました。

現在、東洋大学では、駅伝や陸上競技、水泳、野球などスポーツ系のクラブ活動が盛んですが、文化系サークルにはあまり力を入れていないように思います。

他大学をみると、例えば法政大学には卒業生や大学の関係機関の協力を得ながら、自主的に運営している「自主マスコミ講座」というものがあり、放送局、新聞報道、出版社、広告代理店などマスコミ業界を目指す全学部の1年生から3年生を対象に、マスコミ業界で働く講師を迎え、少人数による実践的な授業を行っています。これまでの30数年で1400人超がマスコミ業界へ進出しています。この講座を目指して法政大学を受験する高校生も多くいると聞きます。

東洋大学もスタジオを整備したり、講師を招いたりして文化系でも学外に誇れる講座づくりが必要な時代になっている、いや、もはや遅いくらいだと思います。一時代、FM放送の研究を進めていたような実践的な講座開設が望まれます。

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