日本昔話の開拓者 関 敬吾氏の動画が完成しました
日本昔話の開拓者 関 敬吾氏の動画が完成しました
関 敬吾(せきけいご)氏は東洋大学卒の文学博士です。
長崎県雲仙市小浜町富津出身の民俗学者で日本の昔話研究に貢献した関敬吾氏(1899-1990年)の生涯と功績を紹介する動画が完成しました。
1899(明治32)年、関家の五男(10人兄弟の末っ子)として生まれました。
戦後、日本各地で語り継がれてきた昔話や民話を海外の研究を基に分類し、桃太郎、浦島太郎、一寸法師など「日本昔話集成」を完成させます。これにより、日本の昔話研究はグリム童話などと同様、世界の舞台へ羽ばたいていきました。
敬吾氏の兄、三男 衛(まもる)氏と四男 寛之(かんし)氏も芸術教育や児童の宗教心理学の分野で功績を残しており、地元では「関三兄弟」※として親しまれています。
動画では当人を知る人たちのインタビューを交え、敬吾氏の人生と人物像を紹介しています。市内の各図書館などでDVDを貸し出しているほか、YouTubeで公開しています。
(雲仙市HPより抜粋)
<雲仙市が作成したYouTube動画の視聴方法>
(1) パソコンは下記URLから
https://www.city.unzen.nagasaki.jp/kiji0034469/index.html
内の外部リンク> https://youtu.be/d3qbpGwdrXs
(2) スマホはこの下のQRコードからご覧になれます
(3) 敬吾氏の作品より「えびとふぐとたこ」の紹介
雲仙市小浜町の民話、長崎弁でユーモア溢れる語りです。
関三兄弟とご子息についての補足※
プロフィールは雲仙市冨津_関三兄弟生家前の看板より引用
●三男 関 衛 (せき まもる)氏 (芸術教育研究者)
1889(明治22)年生
近代芸術教育のあり方を科学的、哲学的に示した先駆者的研究者。なかでも著書「普通教育に於ける芸術的陶冶」においては児童教育基礎とした新しい図画教育を方向づけた。また氏自身も絵筆をとり、帝展にも数回入選した。
1939(昭和14)年没 享年50才
●四男 関 寛之 (せき かんし)氏 (文学博士)
1890(明治23)年生
1914年東洋大学専門部第二科(国語・漢文)卒
1924-1944年、母校にて教職
1947-1961年、東洋大学校友会長崎県支部初代支部長
児童心理の研究に多大な実績があり、各種大学で教鞭をとるかたわら、世界教育会議、児童憲章制定等の委員をつとめた。小浜町に帰郷後は長崎県の公安委員長や農地委員会協議会長などを歴任した。
1962(昭和37)年没 享年73才
●五男 関 敬吾 (せき けいご)氏 (文学博士)
1899(明治32)年生
東洋大学を卒業後、柳田国男氏に師事し、今日の昔話研究の基礎を確立、国立音楽大学東京学芸大学などの教授をつとめる一方、役員としても文部省文化財専門審議委員や日本民族学会理事を歴任するなど我が国の文化発展に寄与した。
1990(平成2)年没 享年91才
1924年東洋大学専門学部文化学科卒業
Wikipediaに関敬吾氏についての記述あり
●関 信夫 (せき しのぶ)氏 関 敬吾氏の次男
1961(昭和36)年社会学部応用社会学科卒業
校友会本部元監事