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安吾の会2023読書会の報告

東洋大学での安吾 ~坊主の学校でいかに修業したか~
安吾の会2023読書会の報告

去る4月8日、「東洋大学での安吾~坊主の学校でいかに修業したか~」をテーマに、安吾の会2023読書会が開催され、その案内人を務めさせていただきました。
以下、簡単に読書会の報告をさせていただきます。
当日は、約30名の参加者でした。中には、岡崎、茨城からの参加者もおりました。校友も一名参加してくださいました。ありがとうございます。

今回の読書会は、安吾が坊主の学校(つまり東洋大学)でいかに修業し、どう学んだかを自伝的小説から読み解き、安吾が学んだ仏教が、その後の生き方、作品にどう影響したかを明らかにしてみたい。との意気込みで進めていきました。

全体を3部構成で、Ⅰ.悟りへの憧れ(中学時代からの宗教・悟りへの憧れについて)、Ⅱ.東洋大学での安吾(大学で仏教にどう取り組んだのか)、Ⅲ.イノチガケの文学活動(仏教が安吾の生き方、作品にどう影響したか)~の順で、安吾の作品を読みながら、若干のコメントをはさみながら進めていきました。

 

Ⅰ 悟りへの憧れ

安吾は、新潟中学の机の裏蓋に「余は偉大いなる落伍者となって、何時の日にか歴史の中によみがるであろう」と彫りました。(「いずこへ」)
ここには、安吾らしさの先取り、普通とは異なった学校生活、家庭生活を送った少年安吾の精一杯の反抗と強がりの誇示が感じられるます。
普通なら大将、大臣、飛行家を夢見るが、安吾はそうではない「落伍者」を夢見た。主流ではないが、歴史的人物になるという安吾の意気込みが感じられます。
安吾が少年時代から夢見た落伍者とは、求道者の別名であったと七北数人氏は言っています。その意味で、悟りへの憧れが見て取れます。

東京の豊山中学へ転校後も友人と座禅を組に出かけたり、宗教の本を読んだりしています。中学卒業後、一年間代用教員を勤めますが、二十の年に坊主になろうと東洋大学の門をたたきます。
この辺の安吾の心境を 「世に出るまで」、「風と光と二十の私と」、「女占師の前にて」などの作品で読み解いていきました。
ちなみに、「世に出るまで」は、没後発表となった絶筆の一本ですが、原稿は、東洋大学図書館に所蔵されているそうです。

 

Ⅱ 東洋大学での安吾

安吾が東洋大学大学部印度哲学倫理学科第二科に入学したのは、1926(大正15)年4月です。
東洋大学時代の安吾は、睡眠を一日4時間と決めるなど生活態度を厳しく律して勉強するある意味、修業の時代でした。酒にも遊びにも目もくれず、ひたすら勉強に打ち込みました。
修業ともいうべき勉強を続け、その結果「気狂いなるのも遠くあるまい。(中略)毛頭自殺したいと思わないのにともすれば、自殺欲が起きる」(山口修三宛書簡)と語っているように、一種の神経衰弱におそわれました。
当時の東洋大学の雰囲気を「勉強記」で、「坊主の勉強に入りあげ」た安吾の様子を、「世に出るまで」、「二十一」で読んでいきました。

また、当時の東洋大学を舞台にした安吾の作品に「風神録」もあります。

神経衰弱に陥った安吾は最後には、外国語を勉強することによって病気を退治していきます。大学3年時にアテネ・フランセに入り、フランス語やフランス文学を学び、病を克服するとともに、仏教から文学へ逆戻りしていきます。そのあたりの状況を「処女作前後の思ひ出」と「分裂的な感想」で読んでいきました。

参考までに、大学での安吾は、出席率は90%近く、成績も、第一学年の席次はトップ、卒業時は2位という素晴らしい結果を残しています。

 

Ⅲ イノチガケの文学活動

最後に、仏教が、その後の生き方、作品にどう影響したかを見ていきましたが、ここでは森章司先生と神田重幸先生の意見を紹介しながら進めました。
安吾は、「私にとっての文学は、いはば私個人だけの宗教」(「分裂的な感想」)と言っています。安吾の宗教観について、神田先生は、安吾が落伍者に徹することで、自分の文学を切り拓いていったのは、いわば東洋大学時代の生活や宗教と文学への覚醒が出発点であったとみることができる。と言っております。
一方、森先生は、安吾は仏教に幻滅を感じながら、安吾は自力のイメージで仏教に向き合った。と言っています。

また、安吾の作品への仏教の影響について、神田先生は、仏教もインド哲学も安吾にとって、人間存在を究明する主題であり方法であり、そこから安吾の思考や文学を生み出すに至ったと述べています。
一方、森先生は、仏教学者の立場から、安吾の小説・評論などの作品の中に、インド哲学ないしは仏教が主題(=インド哲学的仏教的世界が作品世界と一枚となっている)ものは無いと言っています。
安吾の作品の中で、仏教的作品名あるいは僧侶が主要な登場人物として登場する作品は、禅僧、出家物語などありますが、僧侶が主人公というだけで作品世界は仏教とは別の世界だと言うのです。

その上で、森先生は、安吾の宗教観を次のように展開しています。
安吾の文学に大きな影響を与えたのは、仏教よりキリスト教、キリシタンだったのではないかという提起です。
昭和15年に「イノチガケ」、昭和21年には「わが血を追う人々」という小説を書いています。また、色紙などにもよく好んで「あちらこちら命がけ」などと書いていますが、このように安吾の文学に大きな影響を与えたキリシタン信仰について、安吾はキリシタンに信仰面で共感したのではなく、「イノチガケ」という面において共感した。イノチガケはある意味「殉教」で、安吾はまさしく文学や人生に「殉教」したのではないか。と言っております。

イノチガケの文学活動を安吾はどう語っていたか、「日本文化私観」、「大井広介といふ男」、「ちかごろの酒の話」、「麻薬・自殺・宗教」などで見てみました。

最後は、森先生のことばを借りてまとめにしました。
人間は悪人と見た親鸞と人間は堕落する存在と見た安吾の人間観は似ています。親鸞からすれば、人間はろくなもんじゃない。自分で悟ることも難しい。だからこそ、阿弥陀にすがれとなる。
安吾は、人間は堕落する、だから墜ちきろ、そして這い上がれという。自力を貫きました。安吾は、落伍者・求道者として、「命がけで生き抜いた」、はちゃめちゃに見える安吾の生き方に自力の一本の線が入ることで、まさに「あちらこちら命がけ」でもがいている安吾が浮かんできます。そうした意味で、無頼派の安吾、まさに人に頼ること無く、自力の道を突き進んだのかもしれません。安吾の生き方・人生に無頼派安吾の真骨頂を垣間見ることができるのではないかと思います。

今回の読書会の案内人を務めるにあたり
「無限大な安吾<東洋大学公開講演>論文集」(発行/菁柿堂)を参考にさせていただきました。
なお、文中の安吾作品は、電子図書館「青空文庫」で読むことができます。

東洋大学校友会理事 斎藤 淳

 

 

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