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箱根駅伝の主力選手から教師の道へ

校友の紹介:永富和真氏
~箱根駅伝の主力選手から教師の道へ~

永富 和真(ながとみ かずま)氏:工学部機械工学科(平成16年3月卒)
福岡県久留米市生まれ。
佐賀県立鳥栖工業高校卒業後、東洋大学へ進学し陸上競技部(長距離部門)に在籍。
卒業後は、長崎県大村市にある「SUMCO TECHXIV(株)」に就職。
現在、鳥栖工高の機械科教諭(兼駅伝部顧問)。家族構成は、奥様と長女4歳、次女1歳。

〈大学時代の選手として〉
陸上競技部では、各種大会において数々の実績を残すなど主力選手として大活躍。2年生の時(平成14年1月)に、旭化成やシドニーオリンピックマラソン(平成12年)の代表選手として活躍された川嶋伸次氏が監督に就任されました。それまで1、2年生時は、シード権を失っていましたので、新監督の指導方針のもと、日常の生活態度の見直しから始まって、規律を順守するという基本を叩き込まれ、勉学に励みながら、箱根駅伝のシード権復活目指して練習に励みました。

そして、漸く3年生の時に第79回箱根駅伝(平成15年)のシード権を獲得し、永富選手は、各大学の有力選手が揃う9区に出場し、区間5位の好成績で、総合順位を6位まで押し上げる原動力となりました。

また、最終学年で迎えた翌年の第80回箱根駅伝では、4区を区間2位の好記録で駆け抜け、東洋大学の総合6位、2年連続シード権獲得に貢献しました。

その後、川嶋監督が辞任された(平成20年12月)直後の第85回箱根駅伝において、遂に夢にまで見た悲願の総合初優勝を遂げます。永富氏は、“母校初優勝“という栄光の礎を築いた選手の一人として、陸上競技部(長距離部門)の輝かしい歴史の1ページに名を残しています。

〈競技者から教師の道へ〉
卒業後は、実業団に所属し、ニューイヤー駅伝、延岡マラソン及び北海道マラソン等にチャレンジするなど競技生活を続けましたが、高校時代から抱えていた足の故障の影響もあり、思うような結果が出なくなりました。従って、競技生活は5年間で終わり、その後は、会社に残って会社員として勤務をしていました。そんな中、入社して12年目に大きな転機が訪れます。

鳥栖工高の校長先生や駅伝部の恩師から、思いがけず「教師になる気はないか」とお誘いの声がかかったのです。学生時代は、「将来、陸上競技の指導者になりたい」という願望はありましたが、今となっては、年齢的にも難しいだろうなあと思いました。さあどうするか、これから勉強して果たして、教員採用試験に合格できるだろうかという不安がまず頭をよぎり、大いに悩みました。そのとき背中を押してくれたのは「応援するから頑張ってみない」という妻の一言でした。一念発起して、28年4月から鳥栖工高で講師として教壇に立つ一方、陸上部の監督の下、顧問という立場で選手を指導しながら、無我夢中で試験勉強に打ち込みました。そして1年目で見事試験に合格したのです。永富さんは言います、「高校、大学を通じての恩師との出会いが、新しい人生の未来をもたらしてくれました」、また「一生懸命努力をして実現できた喜びは何ものにも代え難いものです」と。

本年は、年初の全国都道府県対抗男子駅伝で、鳥栖工高選手主体の佐賀県チームを率いて監督と一緒にコーチとして出場し、なんと県民があっと驚く4位入賞を果たしました。これからの目標は、鳥栖工高の監督に恩返しをするために、なんとしても“全国高校駅伝での8位入賞を達成したい“と熱く語ってくれました。永富氏は、今日も教壇に立ち、3年生の担任としての就職指導に、また駅伝部の顧問としての選手指導と、多忙な日々が続きます。

写真:左側は元支部長の古川恒雄氏

 

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