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鶴ヶ島から安来へ。Uターン32年の軌跡

校友会島根県支部の皆さんへ

月に1回、校友の皆さんから近況等のメールを頂き、皆さんにお送りしています。
1月は校友会島根県支部会計監事の田中享(平成元年工学部卒)さんからのメッセージです。
安来市にお住まいで、勤務先は安来市の山陰酸素工業(株)安来支店です。
今回のタイトルは「鶴ヶ島から安来へ。Uターン32年の軌跡」でメール頂きました。ご一読ください。

島根県支部支部長 福島康治


 

鶴ヶ島から安来へ。Uターン32年の軌跡

「今年の箱根は、東洋大学惜しかったね」「今年は、強かったね」などと言われるようになってここ15年くらいでしょうか。在学中はシード権が取れるのかどうかでした。強くなったなぁと思っております。

私は平成元年工学部応用化学科卒業です。工学部は今も同じ埼玉県鶴ヶ島市ですね(当時は入間郡鶴ヶ島町でした)。新しい元号となり、なんとなく自粛ムードではありましたが卒業後の入社式も実施され新社会人としてスタートしました。

在学中は、2年生から関わった学園祭の思い出が印象深く残っています。現在は「こもれび祭」となっていますが当時は「工学祭」でしたでしょうか。実行部隊である常任委員会に入りました。1年生で仲良くなった同級生に誘われたのでなんとなくだったのですが。限られた予算の中で学園祭を運営するのに苦労したものです。

先ずは、人寄せの為に芸能人を選びます。
春に、芸能プロダクションと、これから売れるであろう新人芸能人を選び契約するのです。すでに売れている芸能人はギャラが高いのです。だから安いうちに早めに契約をしちゃうのです。
学園祭のある秋には、ある程度注目を集める芸能人でないとチケットが売れませんので見込み発注、いわゆる博打ですね。
チケットが売れなくて川越の商店街で売って回りましたが大変でした。また学園祭の最中、夜に見回りをして学内に酔って寝ている学生をリヤカーで拾って歩いた事もありました。これも大変でしたが大学時代のいい思い出です。
昨年はコロナ感染症で川越の学園祭は中止になったようですが、青春には破天荒な学園祭は必要ですよね。

就職は、地元に帰る気もなく関東で就職を考えていました。しかし、両親の強い意向もあり、現在勤務しています山陰酸素工業(株)に就職をしました。島根県外にも営業所があり、もともと関東で仕事がしたかった思いがありましたので入社してすぐに「いくらでも県外に行きますよ」と上司に上申していました。
その事もあったのか、入社2年目から埼玉、出雲、木次、九州、東京と異動しました。結果的に県外(山陰以外)で通算18年6カ月(埼玉2年半、九州8年、東京8年)勤務しました。
地元である安来にUターンで帰ったのは、6年前で約25年ぶりでした。今年で鶴ヶ島の青春から32年が経過しています。

安来に戻ってきてから、校友会の皆さんにもお会いする事も増え、出雲駅伝の応援も楽しみの一つとなりました。
島根ワイナリーのサヨナラパーティーでの校友との交流はとても印象に残っています。今年は開催されることを祈っております。
私の勤務する山陰酸素工業は毎年社内向けのキャッチコピーを展開しています。
令和3年は「協創。」一緒につくりあげよう!(Rebuilding)です。
このコピーの様に校友会がコロナのなかでも一緒に前進出来れば良いと思っています。共に頑張りましょう。

なお、安来に山陰酸素は「さんそ学習館ケイオス」という高圧ガスの化学教育を目的とした施設を運営しています。見学のご希望あれば設定しますので私までご連絡ください。

2021年 1月15日

田中 亨(平成元年工学部卒)
<勤務先>山陰酸素工業株式会社安来支店

 

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