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ふるさと山陰に在り、学祖の理念からみる私の人生

東洋大学校友会島根県支部の皆さんへ

月に一回、校友の皆さんから近況等のメッセージを頂き、皆さんにお送りしています。
9月は大田市仁摩町にお住いの山﨑省三さんからのメッセージです。山﨑さんは1970年(昭和45年)経営学部商学科を卒業されました。卒業後直ぐに帰郷され郵便局に勤務されました。
今回のタイトルは「ふるさと山陰に在り、学祖の理念からみる私の人生」です。山﨑さん宅にある、学祖井上円了先生の掛け軸が添付されています。
ご一読ください。

なお、10月10日開催「第33回出雲全日本大学選抜駅伝競走」の実行委員会発表による応援実施要領を校友会本部ホームページの島根県支部ブログにアップしていますのでご覧ください。

島根県支部支部長 福島康治

 


 

「ふるさと山陰に在り、学祖の理念からみる私の人生」

私は、『教育理念を「自己の哲学」(人生観・世界観)を持つ人間育成』とする東洋大学へ入学したにもかかわらず、自業自得、残念ながら学生にふさわしい日々を過ごした記憶がない。一方で、多くの同年代校友諸氏も行かれた覚えのある、池袋の映画館・文芸座。そこで見た「オールナイト6本立て、高倉健主演のヤクザ映画・網走番外地」は何故か未だに心に残る。学生時代の記憶がこの程度の者に原稿依頼である。なんとも荷が重い、難儀な事になった。

やむを得ず承諾した後で、拙宅に東洋大学の学祖・井上円了先生の書が一幅ある事を思い出した。早速、何か手掛りを得ようと床の間に掛けてみた。ところが、無知な私には判読不能。そこで、先生についてネット検索。先生は『真理は「哲学」にあり』と考えておられた事を改めて知った。このお考えから、哲学による日本人の「ものの見方・考え方」を、61歳の生涯を懸けて全国各地を巡講されたとあった。拙宅の一幅は、簡素な表装からして、その折りに先生が揮毫されたものと推測する。

ところで、話は少し古くなるが、健さんの文化勲章受章には驚いた。なにしろ、卒業後は映画を見ることもなく、私の記憶の中の健さんはあの「網走番外地」当時のままであった。それが、受章時の健さんは、確かな「自己の哲学」を持つ、スケールの大きな俳優の雰囲気を醸し出しておられ、全く印象が違った。また、皇居で行われた親授式後の記者会見で『日本人に生まれて本当によかったと、今日思いました』と述べている。この言葉に、健さんならではの哲学を感じ取る事が出来て、文化勲章の受章は当然の事との思いを強くした。

なお、私はと言えば、9代目の長男として生まれ、東洋大学を卒業と同時に帰郷。それ以来、早いもので半世紀が経過した。その間に、帰郷後は郵便局へ勤め60歳で退職するまで、地域の方には長いこと随分お世話になった。今でも、局長さんと呼んで下さる方もおられる。結婚し子供も生まれて、普通の平穏な生活が続いたが、勘定違いが唯一つ。それは、2年前からの没一生活。しかし、幸いなことに若い頃からの夢であった、三世代同居のお陰で独居生活を免れている。最近、三世代同居生活の中で思う様になった。それは、『今在る事を、先祖に感謝し敬う。そして、身の丈に合う暮らしをして、次世代へバトンを渡す。この当たり前に思える営みこそが、生物としての人間本来の在るべき姿ではないか』と。これは、ちっぽけな人間が古希を過ぎ、ちっぽけな肩の荷を下ろした末にたどり着いた、ちっぽけな「自己の哲学」である。さて、私のこのちっぽけな「自己の哲学」を、学祖・円了先生に採点をお願いしたなら、如何程の点数を頂けようか。

最後になりましたが、在校生及び校友会諸氏のご健勝をお祈り申し上げます。

山﨑 省三
1970年(昭和45年)経営学部商学科卒業
大田市仁摩町
電話 0854-88-2400
メールアドレス tonobatake@ginzan-tv.ne.jp

 

 

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