全国の支部ブログ

恵まれた4年間・TOYOの青春

東洋大学校友会島根県支部の皆さんへ

月に一回、校友の皆さんから近況等のメッセージを頂き、皆さんへお送りしています。
11月は出雲市大社町にお住まいの佐藤浩史さんからのメッセージです。佐藤さんは1991年(平成3年)に法学部経営法学科を卒業されました。

卒業後は出雲市役所に勤務され、教育委員会で学校施設の管理・設備に関する業務に従事しておられます。今回は衆議院議員選挙や、出雲駅伝等の業務量が増えている中で、メッセージを作成して頂きました。
タイトルは「恵まれた4年間・TOYOの青春」です。ご一読ください。

なお、11月1日に校友会ホームページ上で、東洋大学校友会代議員選挙が告示されています。島根県支部では二名が代議員選出枠です。島根県支部役員会の推薦を頂き、支部長福島康治と、事務局長荒木博が立候補予定です。
詳細につきましては、校友の皆さんに別途展開しますが、まずは、校友会ホームページをご覧ください。

島根県支部支部長 福島康治


 

「恵まれた4年間・TOYOの青春」

-出雲ドームゴールで-

2021年10月10日、地元出雲市で2年ぶりに出雲駅伝が開催されました。母校は酒井監督が「経験の場」と位置づけ臨んだ中、3位という素晴らしい成績を残してくれました。

コロナ禍の開催となり、沿道での応援は自粛といった大会となりましたが、当日は仕事としてゴール附近で駅伝業務にあたっていました。3区までは、ところどころテレビを見ていましたが、それ以降の展開は全く分からず、各校がゴールするのを見守っていました。そうした中で、出雲ドームへ3番目には入ってきた時には、本当にびっくりしました。家に帰り、録画を見たのですが、4区以降に劇的な展開があったことを知りました。東洋大学のスローガン「怯まず前へ、その一秒をけずりだせ」を体現するレースだったように思います。全日本大学駅伝、箱根駅伝でも鉄紺の活躍を期待しています。

 

-東京に行けば何かが変わる-

私の大学時代ですが、今回のメッセージの依頼を受けた際にも、特別変わった話題がなく、困ったなというのが本音でした。高い目標を持って大学に入学した訳ではなく、大卒の肩書が将来役に立つのではないかという安易な考えからでした。東洋大学を選んだのは、当時抜群に学費が安かったのと、日東駒専レベルを目標にしていた為です。国公立大学を目指せば良かったのですが、真面目に受験勉強に取り組んだ高校時代でもなく、親には負担をかけてしまいました。

東京に拘りがあったわけではなかったのですが、東京に行けば何かあるのではないか、何か変わるのではないかという漠然とした気持ちが有りました。夢見る高校生ではありませんでしたが、当時歌われた、來生たかおの「夢の途中」は案外、私の背中を押してくれたのかもしれません。

在籍していたのは1987年4月から1991年3月までの4年間であり、ちょうどバブル景気と重なっていました。大学は創立100周年を迎えた節目であり、在学中に白山キャンパスの建て替えが始まるなど動きの大きかった時期でした。18歳人口も増え始めて行く頃で、新興大学も創設されていく中、私のような、なんとなく!学生も多かった時代ではないかと思います。

そんな学生でしたが、入学当時に衝撃を受けた出来事がありました。大講義室で授業が始まるのを待っていた際、ヘルメットを被った2名の学生が押しかけ教壇に立ち、学生運動を思わせるような主張をしていました。内容は政治的主張なのか、学内問題なのか覚えていませんが、誰一人として反応する学生はいませんでした。直後に、キャンパス中のいたるところに「〇〇お断り」の札が貼られ、その後そのような学生を見かける事は無くなりましたが、「この時代に、まだこういう学生がいるのか」と思った事を覚えています。

また、必須であった憲法の授業では、単位取得が難しい名雪教授にあたってしまいました。名雪教授は熱狂的な阪神フアンで、勝利した次の日には非常に機嫌が良く、授業のある前の日の阪神の試合結果をチェックしていたものです。再履修も覚悟していましたが、その年に昭和天皇がお亡くなりになり、恩赦の如く単位が与えられ、私を含め多くの学生が救われました。

ゼミでは、「航空に関する法」を浅野教授の講義でを学んでいました。レポートをゼミ仲間と寄せ合い、冊子にした事が懐かしく思い出されます。

 

-バブル下の学生生活-

大学進学は友人を作る事が目的と、言われるぐら大切な事ですが、友人関係には恵まれたと感じています。定期的に池袋で飲み会をしていました。また、空前のスキーブームで、スキーバスツアーで各地のスキー場に出かけました。北海道や新潟出身の友人の腕前は相当なものであり、彼らから教えを受け、転びながらゲレンデを滑った記憶と、長蛇のリフト待ちの光景は今でも覚えています。

出雲駅伝応援に来雲してくれた学友もいますが、今ではそれぞれの人生の仕事の忙しさを理由に、近況をやり取りをしている学友は少数になりました。この校友メッセージを読んでくれ旧交を温めれば良いのですが。

バブルの絶頂期でしたから、アルバイトも色々行いました。分厚いアルバイト求人誌「an」「フロムÁ」がコンビニで売られていました。焼き肉店、ゲームセンター、日本茶の店頭販売、テレビ局の中継スタッフ、政治家後援会のDM宛名書き等様々な業種を経験しました。時給が650円から800円位でした。今から30年まえのバブルの時代ですが、高くは無い時給でした。バブルは、アルバイト学生の時給には縁がないものだった様です。生活を潤わすためのバイトでありましたが、色々と社会勉強をさせてもらいました。学校で授業で学んだ事と同じ位に学外で学んだ事も沢山有ったように思います。

大学時代の事を取り留めもなく書き綴ってみましたが、恵まれた4年間のTOYOでした。東洋大学で学び、出雲市役所の行政マンとして働く中で、次のような言葉に共鳴しました。

「学而時習之、不亦説乎,有朋自遠方來、不亦樂乎,人不知而不慍、不亦君子乎」(論語巻第一)

現在の大学生はコロナ禍においてリモート授業が殆どとなり、孤独感や不安定感を抱きメンタルヘルスにも大きな影響を及ぼしていると聞きます。コロナ終息により、当たり前の大学生活に早く戻れる様に祈念いたします。

東洋大学卒業(武道館前・打ち上げ)

 

佐藤 浩史
1991年(平成3年)法学部経営法学科卒業
出雲市大社町在住
電話 090-7773-9010
メールアドレス kohjityu@icloud.com

 

 

 

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