母校支援

子育てしながらの編纂事業支援は大変!

みなさまこんにちは。東洋大学校友会事務局の豊田です。今回は、事務局のトップバッターとして私が携わってきた編纂(へんさん)の仕事や、事務局の仕事について触れたいと思います。

卒業後は編纂スタッフとして公文書館に通い詰め!

遡ること1987年、東洋大学が創立100周年を迎えようとしている時期のことです。当時大学では様々な記念事業を検討しており、その中の一つは、創立者の井上円了先生の研究、2つ目が東洋大学百年史の編纂事業でした。1985年3月に文学研究科日本史学専攻の修士課程を修了した後、私はこの100年史編纂スタッフの一人として事業に携わることになりました。

この頃から伝統ある私立大学では、自校の歴史に目を向け編纂事業を行う学校が増えており、編纂に携わる担当者で勉強会を設けようという動きがあって、もちろんながら私もその活動に参加させていただきました。実はこの活動は、「全国大学史資料協議会」として今も続いているんです!

全国大学史資料協議会 全国研究会 1996年 広島・大和ミュージアムにて

そもそもこの編纂という仕事ですが、多くの材料を集め整理し、必要に応じて手を加えながら内容をまとめあげて書物にする編集作業のことをいいます。ちなみに東洋大学100年史の編纂方針は、東洋大学の歴史を日本近現代史の中に位置づけ、私学として果たした役割を明らかにすることでした。これまでに編纂された50年史、80年史の単なる続編ではないものとして、東洋大学の教育・運営に関する法令・諸規定などの基本的資料を改めて収集し直す必要があったため、港区竹芝の東京都公文書館に毎日通い、関係資料の閲覧、調査、収集を行っていました。

また、それだけでは十分ではありませんので、学内各部課のご協力を得ながら保存文書や簿書などを調査、その後通史編、資料編の構成に基づきながら、資料の分類、整理をしていきます。資料収集作業の成果を示す「資料目録」や「東洋大学史記要」の編集も行いました。そして10年以上の歳月を費やした1995年3月、大学史の編纂事業はたくさんの方々のご協力のもと、全6巻8冊(通史編x2、資料編x4 年表・索引編x1 図録x1)約8000頁の刊行をもって終了しました。

刊行までの間いろいろなことがありました・・・

刊行までの間、結婚、出産を経て、子供に関する行事をこなしながらの仕事でした。子供が熱を出すと電話がかかってくることもあり、机の上に広げてある資料を慌てて片づけ、保育園に向かうことも度々。細かく地道な作業が多かったこともあり、正直この頃は大変でしたが若さで乗り切りました。

よく熱を出していた保育園のころ

編纂作業終了後も資料室勤務を続けていましたが、契約期間満了を迎えると同時に資料室を卒業することに。さて、次をどうするか。。。と考えていると、校友会の事務局メンバーとして働かないかという大変ありがたいお声がけがあり、折角なので働かせていただくことに。2004年4月のことでした。

しかし、いざ始めてみるとこれまでの資料相手の仕事とは全く異なる業務内容に戸惑うことばかり。コミュニケーションの難しさを痛感させられる毎日でした。それでも日々事務局や会長他役員、そして校友のみなさまとコミュニケーションをとり続け、2020年には勤続16年!時間が経つのは本当に早いものです。

小学生以降は、丈夫に成長(高校の体育祭にて)

事務局としてのこれから

一方、母校の東洋大学は今年創立133年!これまでに多くの激動と混迷の中をくぐり抜けて今日まで生き伸びてきた大学だということを強く実感します。そして現在約3万人の学生数を数えるマンモス大学へと成長し、常に一歩先を行く改革性をもった大学として個性を発揮しています。これも母校を支え続ける校友のみなさまのおかげです。私も一卒業生として、母校の興隆発展を願い、校友同士の親睦を深めるために校友会事務局の裏方としてこれからも頑張っていきたいと思っています。

世の中のスピードが早すぎて追いつくのも大変な時代です。何が正しいのか、その場の雰囲気に安易に流されることなく、狭い組織内にとどまらない社会の常識=コンプライアンスに則った判断に基づいて、自分らしさと柔軟さを忘れずに日々過ごしていきたいと思います。

1985年卒
文学研究科日本史学専攻
豊田 徳子

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