母校支援

本の執筆からみえてきた哲学

ただの社会人が単著を2冊出す

私は大学と大学院で合計6年、東洋大学のお世話になりました。大学院修了後は、損害保険会社に勤務し、その後、外資系保険ブローカーや外資系損保会社、金融サービス会社で働いています。普通の社会人ですが、これまでご縁があり、著書や論文を30本以上書かせていただきました。

そして、2019年5月には『先端的D&O保険』(保険毎日新聞社、2019年)という専門書を出版させていただいています。仕事で培ってきた経験と知見をまとめたものです。そんなに評価されないだろうと思っていましたが、2020年日本保険学会賞(著書の部)を受賞いたしました。本来は研究者が受賞するようなものなので、単なる民間企業の従業員が受けてよいのかと驚きました。感謝しかありません。

その後、2021年5月には『一市民の「コロナ終息宣言」』(アメージング出版、2021年)という一般書をはじめて出版しています。こんな厄介なテーマの本を出してしまったことに、自分自身が驚きました。本の内容は哲学的思索も織り交ぜながら、現在のコロナ禍を捉えなおし、徹底的にポジティブに解釈してみようと提言しています。

とにかく、批判に批判を重ねても仕方がないので、視点を変えて生きてみようということです。この本は、自分の専門の法学的考察や、自分の専門外のウイルス学や感染症学についても触れており、とくに専門外の記述もあるので自分の考えを書籍として出すには勇気が必要でした。

しかし、自分に自信を与えてくれるものがありました。「哲学」です。コロナ禍に関する書籍が多く出版されていますが、哲学的思索を取り入れたもの、あるいは結論部分で哲学がカギとなるという主張の書籍は多くありません。そこで、この哲学的な論点が内容の一部を構成し独自性があるということが、私の背中を押すきっかけになっています。

あの世から何を思うか楽しみ

出版後に自分の心模様を確認しても後悔はないようです。たしかに面倒なテーマなので批判を受けるかもしれない、バカにされるかもしれない、恥をかくかもしれない、とふと考えることはあります。でも悔いはないようです。

自分には3人の子どもがいますが、一つの事象に対して、いろいろな考え方がある、多様な解釈ができる、そして正しい結論などそう簡単にみつかるわけがない、ということをこの本書を通じて伝えたかったのかもしれません。テレビに登場する専門家やコメンテーターは、断定的な意見をいい、人を断罪することが多々あります。しかし、それが正しいと誰がいえるのでしょうか。

私は自分の専門であるD&O保険という分野については、かなり深く研究し学びました。そして、実務も経験し、数々の失敗を積み重ねてきました。その結果いえることは、自分の人生で知り得ることは、見える世界のわずかでしかないということです。

そして、見える世界の背後に広がるとてつもなく見えにくい世界にこそ真実がありそうだということです。そんなことを、自分の子どもたちだけではなく、次の世代を担う多くの若者にも応援と共に伝えたいと思いました。

きっと、私があの世に行った後、子どもたちは遺品整理をしながら、「お父さん変な本を書いていたね」と笑うかもしれません。でもその笑いはポジティブな笑いです。そのとき、私はあの世からどんなふうに思うのでしょう。今から楽しみです。

未来の東洋大学への提言

以上のように、私はビジネスの世界で生きてきて、しかも学問的なバックグラウンドも法学です。でも哲学的な思索が好きですし、自分の人生にも仕事にも大いに役立っています。それは東洋大学が自分に影響を与えているのは確かです。

実は哲学科も受験しましたが、不合格で法学を学ぶことになった経緯があります。でも損害保険会社に入るなら結果オーライでした。人生はAとBという選択肢を二つ経験させ、比較してどちらがよいか、とはいえないようにできています。

そして、ビジネスパーソンとして経営戦略的に考えてみると、東洋大学は非常によいポジションにいます。哲学を学ぶ大学など、そうそうあるものではありません。日本でオンリーワンです。これは圧倒的な強みです。

ビジネスの世界では競合他社との競争を回避するため、意図的に自分が生きる場所をずらすことがあります。いわゆるニッチ戦略です。ワシとフクロウは肉食ですが、昼と夜で活動時間が違うので食料の争奪戦はおきません。シマウマとキリンは草食ですが、シマウマは地上の低いところの草を食べ、キリンは高い木の葉を食べるので競合しません。

このように生態学的ニッチを探して自分の居場所をみつけると、非常に楽しく生きられます。だから、東洋大学は「哲学」を学ぶ大学として発展すべきではないかと思うのです。

今、世の中の高等教育が実学志向に向かう中、ここは踏みとどまるべきなのではないかと個人的には感じています。大学は金儲けの手段を学ぶところではありません。実生活や仕事にすぐに役立たない学問をするところと定義づけてもいいと思います。ビジネスに関連する学問といえば、MBA(経営管理修士)が有名ですが、MBAがすぐに役立つほど現実社会はシンプルではありません。

大学は、実務で何の役にも立たないようにみえる教養をいっぱい身につけるところと割り切っても大丈夫だと思います。大学を経営する立場の人としては勇気のいる経営判断だと思います。しかし、そのような大学で学んだ学生が、たくましく生きていく姿をみれば自信も持てることでしょう。

コロナ禍で自分を創造する

最後に自分の近況ですが、縁があって神戸大学の大学院に通い、博士号の取得を目指しています。「リモート博士」です。コロナ禍がなければ首都圏の大学院という発想しかなかったと思いますが、逆手にとって自分の論文を審査してくれる先生をみつけました。この例から自分で存在すると思い込んでいた地理的制約を外すことで、いくらでも可能性が広がるということがわかります。

ここに、これからの大学院のあり方にもヒントがあります。とくに大学院の博士後期課程は論文指導が主になります。そのように考えたとき、日本全国から優秀な学生に学んでもらえばよいことになります。北海道や九州の方が、東洋大学の大学院で学位を取るということができる時代です。毎日飛行機で通うわけではありません。Web会議システムの利用で十分です。

また、海外の学生にも機会を提供することができるでしょう。おそらく指導する教員の学びも相当あると思います。相互補完です。監督官庁は、前例がないから、とかいい出しかねませんが、前例がないからこそやってみてニッチを確保するわけです。大胆に行動してよいと思います。

コロナ禍は、私たちにいろいろな制約を課しているように思えますが、実は自分で自分を縛っているだけなのかもしれません。どんな状況でもプラスの側面をみつめ続けると、非常にユニークな生き方がみつかります。

サントリーの創業者は「やってみなはれ」という有名なフレーズを残しています。結局やってみなければわからない。なんでも「やってみなはれ」ということでしょう。これが新しい価値を創造する源泉なのかもしれません。

1993年修了
法学研究科
博士前期課程
私法学専攻
山越 誠司

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