母校支援

出雲から白山へ・心の師との出会い

私は、東洋大学の卒業生であることを誇りに思っています。それは、磯村英一学長のもとで4年間の大学生活を送ることが出来たからです。そして今でも、磯村学長のお言葉と行動は私の中に生きています。印象的なシーンを思い出しながら私の青春を綴っていきたいと思います。

第1幕「日本武道館 入学式での衝撃」

出雲の田舎者が大東京しかも日本武道館での入学式ですから、全てが珍しく、大きさ、人の数に度肝を抜かれたものです。何よりも衝撃的だったのは、磯村学長の祝辞でした。

「皆さんのほとんどは、東洋大学が第一志望ではなかったと思います。埼玉大学や茨城大学などの国立大学を落ちて入学された方も多いと思います。皆さん公立大学と私立大学の違いが分かりますか?」と問われました。そして「私立大学には建学の理念があります。東洋は東京のように単に都市の名前ではなく、より広い地域と文化の概念を持った言葉です」とおっしゃったように記憶しています。

はじめは、この人何いってるの、普通は「おめでとう」でしょうと思いました。建学の理念「護国愛理」それ何?くらいにしか思いませんでした。しかし、その一言が私の大学生活のみならず、その後の生き方に大きな影響を与えたことは確かです。只、在学中に「護国愛理」を極めようと学問に熱中したわけではありませんが。

『私学には建学の理念があります』。磯村学長のこの言葉を、私は「理念を持って、ブレずに行動する事」と理解し、実践してきました。東洋大学の建学の理念「護国愛理」を曲がりなりに理解出来たのは卒業してから大分年月がかかりました。

第2幕「神宮球場 スタンドでの雄叫び」

次に磯村学長がわたしの前に登場されたのは、2年生の東都大学野球秋のリーグ戦の時でした。わが東洋大学は創部以来54年目の初優勝がかかったシーズンでした。この数年は戦国東都といわれ、この年も後にプロ野球で活躍する「駒沢の石毛」「専修の中尾」「中央の高木」そして「東洋には大エース松沼雅と名捕手達川」がいました。

私は、吹奏楽研究部に入部していましたので大学の依頼で数試合応援に行きました。磯村学長が登場されたのは、優勝が決定した試合ではなく明日にも優勝が決まる駒大戦か専大戦だったと思います。

勝利が決定した瞬間に私たち応援団の中心に立たれ「フレーーーー フレーーーーーTOYO」「ガンバレーーー ガンバレーーーとうよう」とエールを切って下さいました。

一時のような激しさはありませんでしたが、まだまだ学生運動華やかなりし頃で学内には「立て看」や「アジ演説」で学長や執行部 経営側を批判するグループもいる時代でしたから、危険を顧みずエールを切られたことに驚くと共に感謝の気持ちがこみ上げ、磯村学長が身近に感じられました。その後学生からは「あした休講」の大合唱が起こりました。磯村学長はその声を両手で沈めた後「分かりました」若しくは「伝えておきます」とおっしゃった記憶があります。

秋のリーグで東洋大学は初優勝しました。その試合がNHKで放送されたことを原稿を書くため調べている時に知りました。三編に分かれています。まずは、以下のアドレスでご覧下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=I0ujKYlGZ70

数日後、白山から巣鴨まで優勝パレードが行われました。私たち吹奏研究部も参加しました。大講堂の前には酒樽が数個置かれ、そこで磯村学長が挨拶されましたが、歓声で聞き取ることは出来ませんでした。今では考えられませんが、学生に樽酒が振る舞われ、私たちの部室や大講堂周辺は数日、イヤイヤ一週間以上も異様な匂いに包まれていました。

第3幕 「再び日本武道館 大合唱」

私は吹奏楽研究部の部員でしたので、多くの卒業生の皆様とは違う経験をしています。それは、入学式・卒業式に4回出席しているということです。私が3年の時の卒業式の祝辞は、当時メガヒットを記録した海援隊の「贈る言葉」をアレンジしたもので、その全文は大手新聞社に掲載され話題になりました。

さて、私の卒業式ですが日本武道館の客席が学部別に区分されていたのか分かりませんが、私は2階席に座っていました。学長・教職員の入場は本来なら荘厳な雰囲気の中で行われるのが一般的だとは思いますが、客席から自然発生的に拍手や手拍子が湧き上がり、各所から「エイチャン」「アリガトー」と言う声が飛び交い、日本武道館はさながら「矢沢永吉のコンサート」のような盛り上がりがありました。

学長以下所定の位置にかれ着席されると、日本武道館は初めて荘厳な卒業式の会場へと変貌していきました。そして、学長の祝辞が始まりました。

磯村学長は突然アカペラで「仰げば尊し」を歌い出されました。私たち卒業生も一緒に歌い始めました。「仰げば尊し我が師の〇〇」 「教えの庭にも早〇〇〇」私も良く聞き取れませんでしたが、〇〇の部分が「恩」や「幾歳」ではないことに気づき歌うのを止めてしまいました。

磯村学長も学生たちが歌い出したのが想定外だったのか、後の歌詞は原曲通りでした。私たちが歌わなかったらどんな歌詞だったのだろうかと思う一方で、皆が最後まで歌っていたら日本武道館は、卒業式という名の素晴らしいコンサートになっていたかも知れないと今でも思っています。卒業式だけを見ても、こんなに学生に寄り添い愛された学長はいないと確信しています。磯村学長と共に歩んだ4年間は誇りです。

第4幕 「40年の時を超えて響く言葉」

この原稿を書き進める途中で、卒業証書の中に磯村学長から卒業生へのメッセージがあることを思い出しました。(原文は添付ファイルでご覧下さい)

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40年前にいただいた、こんな大切な言葉を忘れてしまった自分を恥じても恥じたりないですが、今再びこのメッセージに巡り会えたことに最高の幸せを感じています。入学式では『建学の精神「護国愛理」「国家を思うこと」と「真理を愛すること」は同じである。勉学に励みなさい』と説き、卒業後は『自分を大切にし、人間として役割を果たしなさい』と導かれた磯村学長。

果たして今の私は人間としての役割を果たしているのだろうか。コロナ禍の分断、差別やいじめ 不正や不平等がまかり通る社会。持続可能な未来を求める若者の声。もう一度、この様な問題に真摯に取り組み、人間としての自分を大切にし、社会の一員としての人間の役割を果たしていきたいと思います。磯村学長の教えとともに生き、悔いのない人生を送りたいと思う今日この頃です。

布野伸一1981年(昭和56年)
経済学部経済学科卒業
出雲市知井宮町
電話090-2007-1583
メールアドレス: epkb4fs1@ms14.megaegg.ne.jp

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