母校支援

法務人生を囲碁の手筋で振り返る

島根県出雲市平田町で司法書士をしている釜屋治男です。高卒で法務局に就職したのですが、何となく仕事上の法律の勉強のため、大卒の方がいいと思い島根県から東京都に転勤させていただき、夜学を卒業したいと考えました。転勤から1年後に夜間の法律学校を4校受験し、東洋大学に合格しました。

すでに22才でしたので、迷うことなく1976年(昭和51年)4月東洋大学に入学しました。授業時間は、午後6時頃から9時30分ぐらいだったでしょうか。夕食は、東洋大学学生御用達の近くの喫茶店の2階で、リーズナブルな「大盛の好物のナポリタン」を口の周りを赤くしながらよく食べていました。

仕事で疲れた当時の若い私にとって大盛は何よりもごちそうでした。ナポリタンとは昭和の名称でしょうか?私にとっては青春そのものです。学校が休みのときは、職場の友達と良く飲みに行きました。これはこれでサラリーマンの定番生活です。働きながら学ぶというのは、肉体的に多少プレッシャーは有りましたが、人格形成や人脈を作る上では良い経験だったと思っています。

当時、地下鉄丸の内線方南町駅から徒歩2~3分の、四畳半一間の公務員独身宿舎に住んでいました。通学時間は乗り継いで1時間位でしたが、家賃1万円でしたので良い選択だったと思います。最近の車内風景は皆がスマホ三昧らしいですが、私の時代は電車内で文庫本を読むのが日課でした。

曽野綾子さん等の女流作家の本がもっぱら私の傾向でした。現在は書籍に限らず、電子教材も溢れているのですから、時間や場所にこだわることなく、「学び続けることへの努力と執念」があれば仕事でも趣味でもどんなことでもやり遂げられると思います。後輩の皆さんの頑張りに期待しています。

東洋大学は仲人

私の妻は、北海道日高地区の様似(さまに)町の出身で夜間の東洋大学の同じサークル「法学会」の1年後輩です。日高地方は馬と昆布と襟裳岬が有名ですが、私の故郷平田町小伊津地区に馬はいませんが海苔と海の町でしたので違和感なく島根に来ることに同意してくれました。

歴史を振り返ると様似町と出雲は深い縁で結ばれています。江戸時代から明治にかけて北前船の航路が有りましが、北海道は様似も寄港地の一つであり、出雲エリアでは小伊津の隣港の鷺浦や宇龍が寄港地でした。何故に出雲へと聞かれると北前船の話題も出しています。

東京で勤務した東京法務局田無出張所、同新宿出張所、同民事行政第一部法人登記第二課は女性が少なく、大学は女性が多かった印象があります。その中で選んだ後輩である女性との初デートは40数年たっても記憶しています。新宿御苑の緑は鮮やかでした。コロナが落ち着いたら新宿御苑や、大学の近くの六義園に出かけてみたいものです。

卒業後に結婚をし1982年(昭和57年)3月に出雲支局に転勤しました。その後は、浜田支局、川本支局、大田出張所、隠岐島前出張所、松江戸籍課、出雲支局、広島法務局職員課、同法人登記部門、益田支局、木次支局、西郷支局、川本支局を最後に少し早めに2008年(平成20年)3月に退職しました。転勤・転居という生活よりも、地元出雲で暮らしたいという気持ちが強かったのだと思います。子供は男の子2人、女の子2人に恵まれました。全員が独立し、現在は夫婦2人の生活です。

出雲大社前での初詣で

ところで、最近は司法書士としての仕事が増えています。民法と不動産登記法等の法律改定が2024年4月1日に予定されています。「不動産の相続登記が義務化」され、それに関連しての依頼・相談案件があるからです。依頼者が登記についてどの程度決めておられるのか、法律内容を認知しておられるのかを考えながら、司法書士として法律知識を駆使するだけではなく、地元の皆さんの暮らしの相談相手として事務所の運営を行いたいと思っています。それが東洋大学で学んだ心だと思うからです。

しかし、邑智郡美郷町の木村稔さんの東洋大学校友会島根県支部2021年12月メッセージには非常に驚きました。私の名前が出ていました。人生、何のご縁があるかわからないものですね。北海道出身の妻との出会いといい、美郷町の木村稔さんとの出会いといい、確かに白山は仲人です。木村稔さんの「カムカムTOYO」は実感です。

その1秒を削り出せ!

最近の10年ぐらいは三大駅伝の一つの出雲全日本大学選抜駅伝を応援しています。全国から応援にかけつけていただいた大勢の校友の皆様と貸切バスに乗って、出雲大社正面鳥井前からのスタート、平田町でのUターン、そして島根ワイナリー前、出雲ドーム前のゴールと移動しながら盛り上がっています。

夕方には出雲ワイナリーで選手、監督と応援者の交流会が行われていました。ここ数年はコロナ等の関係で中止となっていますが、交流会は不思議な感覚ですね。テレビ中継で見かける出場選手や監督と会って写真を撮ったり、サインをお願いしたりとお話ができるのです。

出雲駅伝応援全国の校友

囲碁の話

私の座右の銘は、『石の下にも3年』です。本来の格言は『石の上にも3年』ですが、私の場合は『石の下』です。

趣味は囲碁で、18才頃から打っていますが、50年くらいになります。男女、年齢、職業、国籍、視覚障害も関係ありません。「白黒をつける」「あの人には一目を置く」「素人と玄人」「岡目八目」等囲碁から広がっている言葉には驚きです。囲碁の基本的な手筋や形に「鶴の巣篭り」「天狗の鼻付け」「イタチの腹付け」「猿すべり」「ユルミ」「カケ」「ゲタ」「ボウシ」等名がつけられています。体の一部の目、耳、鼻、顎、頭、肩、腹、背中、尻、死活なども同様に使われます。それらを聞くことでその碁の流れ進行状況を理解できるのです。

対局中には、全体の形成から、からんだり、もたれたり、様子見を打ったりすることがありますが、そのタイミングが問題となります。相手が素直に応じてくれれば良いのですが、「遅すぎた証文ですよとスッポかし」と手抜きをされることがあるのです。囲碁は、局面の流れが重要です。

私は弱い石の様子見が出来る「厚み」を得意としていますが、最近では殆ど見かけない『石の下』という囲碁の手筋が有りますが、これを極める事が私の今後の課題かなと思い、囲碁にはまっています。現在、平田囲碁クラブに加盟して囲碁を楽しんでいます。平田vivaの2階にあります。校友の皆さんで興味がある方は連絡ください。

寄稿の依頼を受けていたので、4月から作成を試みたのですが意外とまとまらなくて、自己中のメッセージになってしまいました。50年近い人生を思い出す良いきっかけになりました。コロナはそろそろ落ち着いてほしいですね。つたない文章におつき合いいただき、ありがとうございました。

サヨナラパーティーで酒井監督を囲んで

釜屋 治男
1980年(昭和55年)
法学部法律学科卒業
出雲市平田町
携帯 090-7370-0199

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