母校支援

縁でつながる私の生き方

(縁その前章)東洋と東海~向ヶ丘遊園からの遠距離通学~

1982年(昭和57年)3月、法学部経営法学科卒業の糸賀三也(旧姓北脇三也)です。つれづれに学生時代、そして社会人としての活動を書き記します。

東洋大学との縁で切り離せない存在が、出雲高校での一級先輩の布野伸一さんです。
皆さんも経験があると思いますが、私立大学をかけもちで受験しますとかなり長期間、都会に居る事となります。私も三週間ほど受験の際、東京に居ましたが、その内の二週間を布野さんの下宿に厄介になりました。そして、運命の糸に引かれる様に大学も東洋大学へ、全く不思議な縁です。

大学生活がスタートしました。私は一卵性双生児であり、同時期に弟も大学受験し、東海大学へ進学した関係で東洋大学の所在地とは縁もゆかりもない、小田急線向ヶ丘遊園という朝霞まで一時間半、乗り換え二つの長距離通学をしました。まず、この通学時間の長さが大きな思い出です。次に学生生活ですが、一年生の時は通学に必死で、特に体育のあった月曜は、二時間かかって川越まで行くので、一日はあっという間でした。

授業として印象に残っているのは、一般教養のドイツ語です。初めて再履修を体験し、中学一年生に戻った気持ちで取り組みました。教員になろうと考えていたわけではありませんが、教職課程をとった関係で、120単位程で卒業可能だったのに、196単位取らねばならず、4年生の2月に法学概論を受講する為、出雲に帰って居ましたが、一日ほど再度上京したのも懐かしい思い出です。

(縁その一)中学相撲を指導する

話を社会人に移しましょう。父親の死があり、ゴタゴタしている内に1982年(昭和57年)4月に帰雲しました。家業の材木業を手伝うつもりもありましたが、一本の教育委員会からの電話で県内小・中学校の講師として三年間を過ごしました。

ここでの思い出は、中学相撲の指導です。それまでは全く相撲の経験はなかったのですが、体格が相撲の力士並みだったこともあり、相撲の指導をし始めました。短期間でしたが、三刀屋町の三刀屋小学校にいた時には、明大中野中学で若乃花(いわゆるお兄ちゃん)と同校で中学横綱となった藤本恵三君を指導したりしました。

(縁その二)学習塾「ヤング塾」を運営

1985年(昭和60年)より学習塾を始め、5年目の1990年(平成2年)に独立し、自営となりました。このメッセージでは9月寄稿の古志野さんも学習塾の命名を色々考えておられたようでした。やはり、命名は自分自身の思い入れがありますから大事です。

私は、「ヤング塾」と命名しました。命名の由来は二つあり、独立時に読んだ作家鷹羽十九哉の「虹へ、アヴァンチュール」というサントリーミステリ文芸大賞の第一回受賞作品の中、登場する主人公が経営する塾の名前から拝借しました。主人公が小説内で起こる事件の解決のため、塾は学生バイトに任せ、自由気ままに推理旅行に出かけます。そんな自由な生き方に憧れて塾名にしました。もう一つの理由は、何時までも、徒手空拳ドン・キホーテのように若さを忘れないようにとの思いです。

(縁その三)高校講師として歩む

やがて誘われるままに出雲青年会議所に入会した縁もあってか、1992年(平成4年)から昼間は出雲西高等学校に講師として奉職するようになりました。

沢山のエピソードがあります。勤務した当初、永島弘明先生が、「糸賀先生は穏やかな顔だが、若い頃、ジャイアント馬場の付き人をしていたので態度が悪いとチョップが飛んでくるぞ」と生徒たちに伝えていました。

何年か経ち、永島明前校長が亡くなられ葬儀になりました。生徒たちが騒いでいます。『何故近しい人に糸賀先生がいるのにジャイアント馬場からの花輪ではなく、アントニオ猪木から花輪が来ているんだ!おかしい?』と。実は永島明前校長の弟さんがアントニオ猪木が経営する新日本プロレスの取締役だったんです。何年か前のジョークがこんな場面で蒸し返されるとは、出雲西高校の都市伝説まがいな話として、ただただ苦笑したものです。

また、色々な生徒たちと出会いましたが、高校一年で退学した生徒が「通信制で苦労して高校の卒業資格を取ったよ。だから、在校生には何があっても卒業しよう!と伝えてください。」と言ってくれたり、清々しい思い出ばかりです。生徒たちとの縁は、東洋大学で学んだ知見によって育っていきました。

(縁その四)出雲駅伝での交流を進める

さて、最大の縁はやはり、「炉談の会」が主催する「出雲大学駅伝のさよならパーティー」の席次担当となったことでしょうか。様々な団体からの誘いがあり、殆ど申し出は断りませんが、「炉談の会」だけは自らの申し出で入会させてもらいました。
縁とは、他者から与えられるものと考えていた自分が初めて自ら縁を求め満足できることに出会えたと痛感しています。

今年の第34回出雲駅伝では、新型コロナの関係で「さよならパーティー」は自粛されていますが、収束後は再び駅伝ランナーたちと盛り上がりたいものです。そして今月10日、母校の選手が22回目の出雲路を走ります。全国の校友、島根県の校友の皆さんと共に、応援したいと思います。

最後に校友の皆さんの益々のご発展を心からお祈りします。有難うございました。

糸賀三也(旧姓北脇三也)
1982年(昭和57年)法学部経営法学科卒業
出雲市神西沖町在住
携帯090-248-5282
メール mitsuyaitoga@ezweb.ne.jp

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