母校支援

母校は面目躍如の大健闘!

歴史に残る「第100回東京箱根間大学駅伝」は、2024年1月2、3日の両日を、時折雨が降る天候の中、関東の23校が参加して行われた。最終結果では、青山学院大学が7回目の総合優勝を達成した。往路復路の終始独走態勢によるタイムは10時間41分25秒。大会新記録の総合優勝であった。下馬評では、各紙とも史上初となる2季連続の大学駅伝三冠を狙った駒澤大学は第2位に終わった。

瀬古利彦解説者は、「箱根は1区間の距離が長く、そして山がある。出雲や全日本駅伝のようには行かない。各大学とも優勝を狙っているからやってみないと分からない」と解説し、事実その通りになった。

一方、2023年の東洋大学は、シード権ギリギリの第10位。正直ハラハラしたが、今年は去年の結果を吹き飛ばすかのような走りを見せてくれた。詳細は中断で述べるが、第3位は城西大学、そして第4位が東洋大学の10時間52分47秒。3位の城西大学とは21秒差であった。以下、國學院、法政、早稲田、創価、帝京、第10位大東大が次回のシード権を確保した。古豪の復活で喜ばしい。

少し話はそれるが、私は母校を昭和32年に卒業してから66年が経ち、現在94才である。2009年の第85回目にして、初めて「山ノ神」柏原竜二選手の出現で初の総合優勝を見た。とても感激して興奮したことを今でも覚えている。それから酒井俊幸名監督の采配で総合優勝を4回も獲得した。

胸を張った。そして年度ごとに、設楽兄弟、服部兄弟や相沢晃選手のエース級の選手を育て、上位のシード権を確保し続けた。これまで常に第4位以内が10年も続き、昨年は酒井監督の采配のもと、往路の頑張りで第10位であった。そんなこんなで、第100回大会は正直に、何とかシード権の確保をと元日に祈願したのだった。

ところが、駅伝の心準備は出来ていた頃、元日に震度7を観測した「令和6年能登半島地震」が起きた。日本海側の佐渡地方でも震度5強を観測した。地震発生後、市役所から「皆さん直ぐに逃げろ」の放送が流れたが、移動手段となる車などはなく、高い所へ歩けないため、自宅の二階に避難していた。2日(火)の駅伝開催当日は余震が137回も出て、駅伝を応援することも見ることもままならなかった。

復路の3日(水)は、余震の回数も減っていたので、寝不足も解消してテレビでしっかり応援できた。結果的に往路は、1区の15位から2区梅崎蓮(3年)選手が8人抜きの7位に大躍進し、波に乗った。そして徐々に順位を上げ第4位で復路に入った。雨の中を応援する観客も大変だったと思うが、東京まで続く沿道の大応援を見て、箱根駅伝は国民的な行事であることを再確認した。

我が母校、東洋大学には、伝統校の誇りとともに、酒井俊幸名監督の采配で面目躍如の健闘にまた来春以降も頑張っていただきたい。

令和6年1月4日(木) 金子俊二(94才)

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