未来への懸け橋、「文化財」を守り伝える私の哲学
寺院学芸員として膨大な文化財とともに歩む
私は、平成6(1994)年に文学部印度哲学科(通称印哲)を卒業し、同時に京都仁和寺(真言宗御室派総本山)において学芸員として着任、勤務しています。学芸員とは文化財の収集や公開、調査研究、修復などに関わる仕事で、仁和4(888)年に創建された仁和寺には現在国宝12件(88点)重要文化財48件(1,698点)その他仏像や絵画、書籍などあわせると10万点を超える文化財を所有しています。私はこれらを100年、1000年先に伝える架け橋のような役割であると考えています。
就職した当時、寺院学芸員は京都でも珍しく、仁和寺でも前例がなかったことから、管財課という財産管理の部署に配属されました。文化財の公開などの業務と平行し、お堂などの建造物や所有する山林といった不動産の管理も行っていました。30年を経ても学芸員は一人ですが、課内で担当業務が細分化され、現在は不動産以外の文化財を担当しています。
仁和寺金堂(筆者提供)
空海の思想や「諸学の基礎である哲学」に導かれ東洋へ進学
東洋大学で印度哲学を志望した理由は、高校生の時、当時東洋の教授であった金岡 秀友*1先生の著書を拝読し、日本仏教の中でも特に真言宗の開祖である弘法大師空海の思想を学びたいと思ったことがきっかけです。また当時は学芸員資格を取得できる大学が少なく、東洋が取得可能な大学であったことも関係しています。
さらに高校には東洋出身の先生がおり、東洋を受験したいと相談した時、大学が刊行した『井上円了の教育理念』*2を貸してくださいました。そこに書かれていた「諸学の基礎は哲学にあり」が、強く心に残ったことも東洋で印度哲学を学ぶきっかけとなりました。
*1 金岡秀友(かなおかしゅうゆう、1927年7月31日-2009年7月23日)仏教学者、真言宗僧侶
*2 『井上円了の教育理念』東洋大学創立者で教育者、哲学者、心理学者であった井上 円了の教育理念を246ページの刊行物としてまとめ、哲学観創立時に大学が発行したもの。
東洋大学「井上円了の教育理念」※東洋大学のサイトへ
https://www.toyo.ac.jp/dp/enryo/EducationalPrinciples/data/461/contents.html
遍く学べた大学時代。不思議な運動会や100年史編纂のバイト経験も
大学では、講義においても特定の宗派宗教に特化せず総論を学ぶことができました。「宗教社会学」といった互いの立場から学ぶ講義で多方面から宗教を捉える事ができ、学科内では曹洞宗や真言宗といった寺に生まれた人も多かったため、宗派による思想を一度に知る事ができたように思います。
学科内の思い出といえば何といっても在学中に始まった「印哲の運動会」です。演習以外ではあまり接点のない上級生や二部(夜間部)の人と交流でき、また教授の意外な一面を知る事ができる、楽しく不思議な会であったことが思い出されます。
また白山校舎には私が学んでいた当時から現存する建物、「甫水会館」があります。館内に井上円了記念室があり、短期間でしたが、そこで「東洋大学百年史」編纂のアルバイトをしていました。そこでは本が出版されるまでの流れ、校正の仕方などを学びました。現在、文化財の管理だけでなく、仁和寺の掲載に関わる事務や校正も担当しているので、この時の経験がおおいに活かされています。
甫水会館(東洋大学校友会サイトより)
原発の町で「事故後の行動、自分自身で考えて」恩師の教え今に繋がる
平成23(2011)年3月に発生した東日本大震災以降、被災した地域の文化財を搬出し保全する活動を、主に福島県内で行っています。契機となったのが高校の恩師の言葉にあります。
私の実家は、福島第一原子力発電所が立地される福島県双葉郡双葉町にあります。昭和61(1986)年に旧ソ連の構成国であったウクライナ・ソビエト社会主義共和国チェルノブイリ原子力発電所で事故が起こりました。この事故を巡り、恩師から「もしも地元福島の発電所で事故が起こった時、どんな行動をすればよいか自分自身で考えておくように」と言われていました。発電所という身近な存在であるものの常に危機感を持っておく事を、生徒たちに教えてくれていたのです。
残念なことに事故は起きてしまうのですが、恩師の言葉はとても深く頭に刻まれ、私の現在の保全活動のきっかけとなりました。同様に学芸員の資格を取得しようと決意した時期もこの頃なのです。
福島県双葉町で搬出品の放射線量をチェックする筆者(2022年9月11日)
広めたい、知ってほしい。「書類は文化財。処分しないで記憶と証拠に」
被災文化財や保全活動などについて、まだ社会の認知度が低いように感じています。たとえば古来地域と関係のある家をはじめ、医家、商家などが持っていた書類(古文書)は、町の歴史とも関係する事があります。
こうした書類は搬出することで町の歴史を「記憶する」だけでなく「証拠」として残すことができるのです。しかし災害後、家の取り壊しなどで使えなくなった家電などの機器や道具類と一緒に、書類もまた処分されてしまうことが多いように感じます。
それは「所有者が残したいと思っていても、相談する方法がわからない」ことも関係しているように思えました。ですから「被災した文化財を搬出し保存する活動がある」ことをもっと知ってもらえるよう、活動者も働きかけをしなければならないと強く感じています。
災害が増加している現在、保全活動は都道府県単位でも実施されつつある中で、地域の歴史や文化を残す活動を広めるための工夫が必要だと考えています。
福島市でクリーニング後の古文書を撮影しているところ
学芸員や保全活動は未来に伝える架け橋、続けることが私の哲学
災害を免れた資料はすべて文化財であり、地域の歴史を伝えるためになくすことはできません。それには活動はもとより「気軽に問い合わせられる場」、「地域の学びの場」が必要ではないかと考え、まずは仁和寺の関連寺院において文化財の重要性や文化財の取り扱い方を含めた講演や研修会を開催しました。小さな取り組みですが、今後各地で開催され、そこから関連寺院が地域の人々に発信していけるような仕組みを作りたいと考えています。
最後になりますが、学芸員や保全活動はどちらも未来に伝える架け橋です。地道な活動ですが、継続して取り組んで行くことが私の役割であり使命だと感じています。そしてこれが私の哲学と言えるのかもしれません。
1994年
文学部印度哲学科(通称印哲)卒業
朝川 美幸