母校支援

ハラハラドキドキで心臓が止まりそうだった101回目の箱根駅伝

第101回「箱根駅伝」応援記

私は、1957年3月に文学部社会学科を卒業し、定年を機に退職して故郷の佐渡島に帰りました。今年95歳になります。現職の頃は、福祉・医療の総合施設で法人事務局長をしていました。母校卒のの法人役員に進められて東洋大学に入学。スポーツが大好きで、学生の時には神宮球場へ足を運び、東都大学野球の応援をしました。相撲も好きで大相撲では全力士の星取表を作り、母校出身の力士を応援しています。

そして今や冬の風物詩となった箱根駅伝。今年も1月2・3の両日に関東学生連合を含む21チームが出場して行われました。最終結果は予想どおり、青山学院大学が2年連続7度目の往路優勝で8回目の総合優勝を達成。10時間41分19秒の大会新記録でした。実に「強かった!」の一言につきます。第2位は強豪・駒澤大学、第3位は出雲・全日本大学駅伝を制して三冠を狙った國學院大學でした。

初日となる1月2日の往路は、無風快晴の天候で午前8時に号砲一発スタートしました。中央大学が藤原監督の采配で第1区から機先を制して飛び出しました。第1区の時点では青山学院大学は振るわず第10位でしたが、徐々に順位を上げ第4区では中央大学を追い上げて45秒差に迫り、第2位に上がりました。

5区の山登りでは首位に立って、7度目の往路優勝で気勢を上げました。ゴールは、2位中央大学、以下、早稲田大学、駒澤大学、創価大学、城西大学、立教大学で、わが東洋大学は9位でした。

往路を終えて、立教大学卒の次女より立教大学が8位になった嬉しさから「お父さん、東洋大学も良かったね。」との電話が来て、「お互いに応援を頑張りましょう」と返事をしました。

3日の復路。箱根の朝は、気温が低くて小雨がちらつき選手の皆さんは少し緊張気味に見えました。それでも沿道は、東京まで大勢の声援と拍手で大賑わい。2位の中央大学には優勝を期待しましたが、8区では8位までに落ちてしまいました。これに比して、4位に出た駒澤大学は強豪ぶりを発揮して8区で第2位まで上がりました。

母校東洋大学は、伝統的に復路は強いのでテレビとラジオで懸命に応援しました。9区から10区では、シード獲得をめぐり実力が伯仲している東洋大、帝京大学、順天堂大学、東京国際大学の4校がゴール寸前まで抜きつ抜かれつで、ハラハラドキドキ心臓が止まりそうでした。

母校は第9位でフィニッシュ。ホッと安堵しました。11位の順天堂大学は気の毒でした。駒澤大学は猛烈に追い上げて総合2位で復路優勝しました。誠に面目躍如、心から祝福したいと思います。私と言えば、この2日間の箱根駅伝を終えて、緊張のあまりとても疲れてしまいました。

昨年の第100回箱根駅伝は、元日に震度7の能登半島地震で漁港が2mも隆起し、また液化現象で家屋が傾き大変な被害が出ました。佐渡も震度5で、市役所から「3mの津波が来るので、すぐに避難しなさい」と放送が流れ、あまり箱根駅伝を見ることができませんでした。

2024年7月に、幸いにも28年の運動が実って佐渡金山が「世界遺産」に登録されました。内外からの観光客が急増して「世界の宝物」として国からも支援を得ています。ありがたいことです。

最後に、兎にも角にも、現在私があるのは母校のおかげと心から感謝しています。母校東洋大学の益々のご発展とご隆盛を祈願いたします。

金子 俊二(1957年文学部社会学科 新潟)

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