母校支援

介護も芸も、真剣勝負。私を動かす『コミュニケーション』の魔法

事務職から営業職へ、そして夫婦でピエロも

私は平成5年に社会学部社会学科を卒業し、郷里の鳥取市で損害保険会社に就職しました。営業事務職として代理店対応とPCの入力をしていましたが勝手が違うことも多く正直苦労しました。その後、社会保険労務士事務所に勤務。社会学部社会学科を卒業したので、うってつけの国家資格だと思い取得しましたが、実務を前にして私は事務が苦手なことに初めて気が付きました。

当時は手書きでしたので、何度も間違えては修正、訂正印を繰り返す有様。社会保険事務所への提出書類を書き直してばかりでした。このままではいけないと自分を見直し、中小企業をマーケットにしているD生命保険株式会社に転職しますが、気づけば29年が経ちました。自身を客観的にみると、どうやら自分は外回りの営業が向いていたようです。

平成8年に広告学研究会で知り合った先輩であり、(先に卒業したのは私ということもあり)後輩でもある主人と広島県東広島市で結婚しました。広島へ嫁ぐことを広告学研究会OB会長である鈴木忍さんに報告しましたら、𠮷長夫妻を訪ねるようにとご紹介がありました。

𠮷長さんは広島市内で『酒庫𠮷長』という会社を経営されながら、NPO日本ケアリングクラウン協会を運営されています(𠮷長さんがクラウンになられた経緯は、ご自身の HP に掲載されているので興味のある方は是非ご一読ください)。クラウン名前は、「シャンピー」です。

私もシャンピーの薫陶を受けて、週末にはケアリングクラウンとしてクラウン姿でバルーンを捻って広島市内の児童館や施設を訪問しました。当時はパッチアダムスが流行っていましたので、広島でパッチアダムス講演会が開催された際は、彼の登場前に仲間のクラウン達と巨大な風船を転がしてステージを盛り上げたこともあります。

現在は夫婦でピエロの「クッキー&キャンディ」を結成し、地元のイベント等でバルーンアートショーを披露していますが、年末には母子施設でクリスマスバルーンショーを開催しています。施設長から、大きな音が苦手なお子さんや少しコミュニケーションが苦手なお母さんのお話を聞いて、参加型の誰でも楽しめるプログラムを考え、ご家族ごとに一番細長いバルーンを三つ編みにしてクリスマスリースを作ることにしました。

普段から仕事などで忙しいお母さんとお子さんの共同作業ということで、一層盛り上がりを見せました。そういった姿を見ると、私たち夫婦にとって、ピエロのクッキー&キャンディとの出会いは天命だったと感じざるを得ません。

※パッチアダムス:アメリカの医師でありクラウンドクターとして活躍。世界中でクラウニング活動の実践や、更なる普及に向けて講演活動をしている。日本にも講演会の為に何度か来日している。

ピエロ

介護、看病、仕事、どれもあきらめない

主人は長男なのですが、なぜか地方の長男に嫁いだからには嫁姑問題を経験してみたいという稀有な好奇心があり、結婚当初から、義父母と同居をしていました。コミュ力(コミュニケーション力)には自信があったので、私だったらうまくやっていけると思い、無謀にも同居を申し出ましたが、当然のことながら日々のことですら思うように進まないことばかり。

何度も義父母と別居しようと考えましたが、”嫁は娘ではない”と悟ってからは、お互いの距離感に無頓着でいられるようになり、嫁姑問題も乗り越えられたのではないかなと思います。

そんな中、2015年に義父が大病を患い、義母は認知症になりました。内科、循環器科、神経内科と、病院への送迎をするだけでなく、診察にも付き添いが必要になり、通院に明け暮れる毎日。その上2019年1月には、東洋大学東広島OB新年会で突然主人が倒れ心肺停止になる事態が発生。幸いにもその場にいた救急救命士の看護師さんに救急車が到着するまで心臓マッサージをしていただき一命を取り留めました。

おかげ様で入院治療後にはICD(植込み型除細動器)を装着し仕事へも復帰できるまでに回復しました。当日、同席していた皆さんには、大変ご心配をおかけしました。主人はというと、倒れた前後2か月の記憶がないそうです。そのせいか、大病を患いながらも楽天的です。

同年12月には義父を見送りました。コロナ前の時期だったのが幸いでした。中学校の校長先生だった義父は、大勢の教え子や同僚後輩に見守られて葬送されました。一方で、残された義母は認知症が進行。

介護保険の適用となり、状況をケアマネージャさんにご相談しながら訪問看護、ショートスティ、小規模多機能施設をその時々の状態で施設を変えつつ制度を利用し尽くしながら自宅で介護していましたが、認知症の介護レベルが上がった頃、ショートスティ先で転倒し、大腿骨骨折で車いす生活になったのを機に特別養護老人ホームに入所してもらいました。

看病と介護に明け暮れる日々。正直体力的にも精神的にも疲労困憊。当時心の友として、そして気晴らしとして読んでいたのは「婦人公論」でした。大変なのは、私だけではないのです。施設を利用しても、送迎時には、私が居ないといけません。いくら時間があっても足りないのですが、ここでは持ち前の集中力が発揮され、仕事もボランティアも家のことも躊躇なく片付いていきました。

私にできることは全部しよう。後悔しないように、何一つあきらめることはしないようにと気持ちを奮い立たせました。仕事が通常仕様となり単身赴任に戻った主人が不在の中、よく頑張った私と母。現在義母は施設で機嫌よく過ごしています。

特別養護老人ホームに入所中の義母

地域や校友会で世代を超えたご縁を広げて

会うべき方とは、ご縁がつながっていっているようです。東広島ユネスコ協会でのボランティア活動も長く続けていますし、25年の年の瀬にはアジア子ども絵日記&ウクライナ子ども絵画展示会を開催しましたが、学生時代の広告学研究会イベント運営の経験が役に立ちました。同じく協会理事で元東広島市議会議員の赤木さんの奥様が東洋大学社会学部卒だとご紹介いただき、広島支部の女子会にもご参加いただくことになりました。

また、赤木さんが長く携わっている東広島市で開催しているベトナムの旧正月伝統行事「テトの祭り」にもお誘いいただき、ここ数年続けて出演をしていますが、バルーンアートを楽しみにされる方も増えているように感じます。ベトナムの研修生、留学生、在留者とご家族が200人以上集まる盛大なお祭りですが、こちらはベトナム語が話せないので、通訳を介してバルーンショーを楽しんでいただきました。

ボランティア活動を通じてのご縁も広がりました。長く懇意にしていただいている、「禅と戦争」の著者ブライアン・アンドレー・ヴィクトリアさん、国際ジャーナリストで日系4世、被爆2世のエィミ・ツジモトさんは、歴史に埋もれた国策による戦争の被害に合われた名もなき方に寄り添った著書を執筆されています。

ご夫妻を、この夏我が家にお招きし、三原市の臨済宗の禅寺『佛通寺』をご案内しました。お二人の講演会や主催される演劇に協力できることも学生時代の経験が生かされています。

ブライアン・アンドレー・ヴィクトリア 「禅と戦争」著者 と一緒に

40歳を過ぎてから、茶道もはじめました。年を重ねるにつれ和服もしっくり似合ってきたように思います。10年過ぎて少し茶人らしくなってきました。覚えては忘れを繰り返し、自分の物覚えの悪さには驚愕しますが、これからも続けていこうと思います。介護で10年くらい中断していたゴルフも再開しました。

自分の伸びしろを信じ、月一でレッスンを受けながら楽しんでいます。広島支部のゴルフ同好会のコンペは大阪や埼玉からの卒業生も参加する人気のイベント。中でも女性の先輩方がとてもゴルフが上手で、私もこんな風にかっこいい大人女子になりたいと羨ましく思うほどです。もう、充分な大人女子ですが(笑)。

校友会に参加をしたのがきっかけで、世代を超えた方々との交流もはじまりました。若い卒業生の方々とも大学の2号館、サークルの場所等の共通のお話ができで、すぐに打ち解けられます。昨年から広島支部の代議員にも就任しました。

仕事を通じで、懇意になった岩森さんご夫妻とは、毎年スポーツの日に開催される出雲駅伝の応援や、女性部の交流会もご一緒しています。校友会広島支部は、出雲駅伝と都府県対抗駅伝の応援に力を入れていますが、近隣の県からも沢山の卒業生が応援に駆けつけています。母校の旗をはためかせながら、チアガールや応援団が声を張り上げ選手にエールを送りますが、母校の校歌が流れると思わず胸に響きウルウルします。

東洋大学のマークが入ったTシャツを着て団扇を持った岩森さんの奥さまと応援していると、内堀選手のお父さんに声をかけて頂きました。選手と同じコースを走っているそうです。出雲ドームでの表彰式の後は、酒井監督と選手の皆さんが観客席まで立ち寄ってくれるので、チームの皆さんに「お疲れ様」の気持ちを伝えます。

広島県では、1月第三日曜日に都道府県対抗駅伝も開催されOBや現役の選手が走ります。毎年ではないのですが、酒井監督や佐藤コーチが参加される打ち上げもあります。全国の卒業生のみなさん、10月の出雲駅伝と1月の都道府県対抗駅伝を一緒に応援して盛り上げましょう!

最後に

2025年から会社の組合の広島支部役員をしています。新入社員の悩みに耳を傾けたり、会社と交渉したりと、新しい経験ができるのが面白いです。仕事があることで自分を保つことができていると思います。

思い起こすと卒業論文は母系社会について書きました。地方では家父長制が残り、いまだに翻弄されることもありますが、今の環境の中で様々なコミュニティの一員としての自分ができる役割を果たしていくことを心がけています。

私の卒業後の仕事のこと家庭のこと趣味のことなどを簡単にご紹介させていただきました。母校を卒業された女性の方との交流に、微力ですがお役に立てれば幸いです。

平成5年
社会学部社会学科卒
藤原 真夕美

カテゴリー