母校支援

図書館から始まった出会いの軌跡

みなさん、こんにちは。経済学部国際経済学科2009年度卒業の本田克敏です。先日、本サイトで、私が宣伝に関わっている映画『上飯田の話』を紹介させていただきました(→こちら)。今回は、私が映画関係にかかわるきっかけの部分にフォーカスして少し書いてみたいと思います。

大学時代、図書館が私の居場所でした

もしかしたら、私のように図書館に通い詰めた人が、思いも寄らない活躍をしているかもしれません。私は東洋大学に入学してからの2年間、一緒に講義を受けるような学部の友人を作ることができませんでした。そのため、食堂もほとんど利用せず、生協でパンを買い、人気のない屋上で昼食を取る日々を過ごしていました。

そんな時、私を支えてくれたのが、東洋大学図書館の地下にある視聴覚室でした。まるで秘密基地のようなこの場所には、名作映画や落語をはじめ、様々な映像がありました。私のようなコミュニケーションが苦手な学生のためにというのは少し大げさかもしれませんが、自分の居場所と言えるような空間を提供してくれた大学には感謝しています。

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私は視聴覚室で出会った多くの映画や落語に興味を持ち、自発的にさまざまな経験を積みました。中でも東洋大学の近くに位置する根津という場所に住む落語の名人「立川談志」に大胆にも会いに行ったことが挙げられます。この部分に関しては、東洋大学で開催された落語会で滝川鯉昇さんの落語を聴いたことが大きなきっかけのひとつと言えます。

他にも閲覧した映画から、倫理学、哲学、人文書籍に興味を持つようになり、教養科目である「倫理学」「心理学」を履修し、深く学ぶことができたことは、私にとって貴重な経験となりました。

そうした学びから、社会人になってからも執筆や批評文章のワークショップなどに参加し、多くの表現者と交流するようになりました。これらの経験が、私が現在携わっている映画配給・宣伝という分野にも繋がっているのではと感じています。

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ある授業がその後の私に影響を与えた

 大学時代、とても印象に残っている講義は「応用倫理学」。この講義では、水俣病などの社会問題をドキュメンタリー映画から学んだり、アニメーション作品「新世紀エヴァンゲリオン」を倫理学の観点から考察したりしました。参加者は4人でしたが、全員がとても熱心に取り組んだのを覚えています。

最終講義の日、私たち4人は早々にレポートを書き上げたので、担当講師から余った時間で大学の非常勤講師になった経緯を話してくれました。それは大学院時代に将来の方向性も決まらず、家で揚げ物を作っていた時の話でした。

その講師は、揚げ物に使った後の油の処理方法がわからず自宅の庭に捨てようとしたところ、まだ冷め切らない熱した油が迂闊にも指にかかり、指が欠損するほどのやけどを負ったそうです。

その時は、もう指の傷は治らないと諦めていたそうですが、それでもある程度の治療を続けたところ、時間はかかりましたが自然に治癒していったそうです。そして、その講師は「理由はわからないが、その出来事が次のステップに進む何かのきっかけになった」と話してくれたことを、今でも覚えています。

つまり、何事も諦めない姿勢というのでしょうか、この講師の話が自分にとってのきっかけとなり、その後自分と向き合いながら10年かけて、自分が関わりたいと思う仕事や人々との出会いにつなげることができたのだと思っています。

自費出版書籍「失格ZINE04

東洋大学での学びがいろいろな出会いに繋がっている

私は現在、プログラマーとして企業で働いていますが、東洋大学で総合的に学問を学んだ経験から、本業以外にも執筆やイラストレーター、地域のイベントへの実行委員など様々な活動に取り組んできました。自分のアイディンティティや生きがいを職業に限定しないことを、東洋大学で学べたことは大きかったと思います。

前段で紹介した映画『上飯田の話』のたかはしそうた監督との出会いは、今から約5年前のこと。当時、たかはし監督はイベント企画会社に勤務するかたわら、『なんか映画についてみる会』を主催していました。一方、私は、映画美学校で批評家養成ギプスというプログラムを修了し、自分の文章を発表する場を探していました。

そんな時、たまたまツイッターで『なんか映画についてみる会』を知り、アポなしで参加したことがきっかけで、たかはし監督と知り合い、交流を深めてきました。それ以来、関東の作品制作や出版活動に協力し、映画の宣伝にも携わってきたのです。これも、東洋大学での学びがつなげてくれた縁だと実感しています。

映画上映時。宣伝として登壇の様子

これからは卒業生同士の繋がりも深めていきたい

 大学卒業後、偶然にも中野区にある哲学堂の裏手の辺りに住んでいました。そこで井上円了の存在に触れ、また妖怪学に興味を持つようになりました。恥ずかしながら、妖怪学というものがオカルト的なものではなく、むしろ大衆や伝承の構造を明らかにし、迷信を打破するためのものであることを、卒業して10年経ってから知りました。

昨年ホームカミングに参加しましたし、それ以外にも、街で人々と交流する中で、様々な挑戦をしている東洋大学卒業生の方々にお会いする機会が不思議と増えました。今後は、卒業生同士の繋がりを深めるようなことにも積極的に参加していきたいと考えています。

2009年卒業
経済学部国際経済学科
本田 克敏

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